はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

4月1日

 4月1日はエイプリルフールなどといわれ、ネット上ではgoogleの日本語入力プチプチバージョンや社名変更したSUBARUのアイサイトver.Businessなどこの日ならではネタを見ることができます。最近はフェイクニュースと呼ばれる嘘情報が意図的に作られているので、言ってみれば毎日が4月1日になってしまったといってもいいのかもしれません。

 ところで今日生まれた人は前年度の学年に入ることは意外に知られていません。法律上、私たちが年齢を加算するのは誕生日の前日の午後12時であり、誕生日当日ではないことがその原因のようです。作家の林真理子さんや川上弘美さん、俳優の高橋克実さんや竹内結子さんなども4月1日の生まれということですが、みなさんが生徒時代にどのような生活を送っていたのかについては多少興味がわきます。

 4月が学期上の年度初めであるのは世界的には少数派ですが、桜の季節を年度の初めに置いたのはすっかり風物詩として定着しています。1日の冗談を楽しんだ後は新しい授業への模索を始めたいと思います。

 「これはウソではありません」というウソではありません…

年度末

 今日で平成28年度は終わります。学校関係者にとっては年度の終わりはけじめのときです。これまでのあれこれに関してまとめをし、来年度のことを考えます。教育というのは終わりがあるものではなく、いつまでも継続するものです。だからこそ、無理矢理にでも切れ目を入れて反省と展望の機会を設けるのでしょう。私もこの区切りのお陰でなんとかやりくりできているのかもしれません。

 学校というのは誰もが一度は通り過ぎる場所で、その人がどのような生徒・学生として過ごしたかということによって、その印象は決定づけられます。そして、自分と同じような経験するものが永遠に繰り返して現れるかのような錯覚を持ってしまいます。

 しかし、実際には学園生活のあり方は個々の人の独自の経験であるのに加え、学校自体も次々に変化しています。教員としての私も同じことを繰り返しているわけではなく、たとえ同じ学年を担当するにしても繰り返しの部分はむしろ少なく、毎年違うことをしています。教材が同じでも教え方も変わっています。何よりも教える方もそれなりに成長しているわけで、それに応じで変わってきているのです。

 加えて、昨今の学力観の変更の気風は私達教員にとっては自己改革をせまる圧力になっています。3年前の私の教育方針といまのそれとは大きく変わっています。いまだはっきりとした展望ができないまま現場では文科省のコメントを待って混乱していますが、できることから着実にやるしかないと考えています。

 年度末は、このように来し方行く末の流れを実感させるためにあるのかもしれません。

南町田駅北口ロータリー完成間近


f:id:letswalk:20170330074947j:image

 南町田駅の北口ロータリーは明後日供用を開始するという告知が出ています。これまで裏口的存在であつた北口が玄関口になります。

 このロータリーには路線バスが4つ入ります。とはいえ、その一つは一日一便の不思議な路線で、何かの数合わせとして設定されたものでしょう。タクシー用の駐車スペースも設けられました。国道16線バイパスに直結し、246号線や東名高速横浜町田インターにも近い駅なので、これからの発展が期待できます。

 玄関はできたのですが、肝心のグランベリーモールは改装のため2年間の休業期間に入っています。完成のあかつきには北口ロータリーから跨線通路で直結するとか。それができると一挙に雰囲気が変わるかも知れません。


f:id:letswalk:20170330074819j:image

 できれば派出所とポストの設置をお願いしたいのですが。

見通すために

 目標を提示してから始めることが物事を早く進めることの鍵になると言われています。目標を提示するということは、ある程度先の展開を予想することが必要ということであり、その見通しの力を持つことが大事であることになります。

 展開を見通すことは容易ではありません。私たちの行動が過去の経験を基準としていることが多いのは事実です。ならば数多くの経験を積んでおくことが今後の見通しをするための補助になると考えられます。実体験はもちろん、読書などを通じて得られる模擬体験もそれに資するはずです。

 臨機応変は理想ですがそのためには、行動の基準となる基がいる。そのための行動を学習と言うのでしょう。

忖度

 国会での証言で使われたという「忖度」という言葉はいかにも日本語らしい表現であり、心理的あるいは行動的な国民性を表しているように感じます。

 ある意味、日本の文化は忖度によって成り立っているともいえます。例えば敬語のシステムを考えてみれば分かります。相対的な使い方をする敬語の基準は他者との関係性にあります。会話の聞き手や、文章の読者の立場を思いやり、そこから使う敬語の種類を決めていきます。

 伝統文化の多くは自己完結せず、相手を意識して構成されるものです。相手からどのように見えるかが行動の基準になっているといえます。

 相手を思いやり、相手の視線に同化して行動することを目指す文化は、心のこもったもてなしの精神にもつながります。これは我が国の優れた特性として考えられています。

 今回の忖度に関する議論は、その特性の負の局面をクローズアップしてしまいました。その意味で残念です。忖度のできない人が増えることは日本文化の存続にも関わる重大事であることも語られなくてはなりません。

教えることが学ぶこと

 学習法の中でも有効な方法に他人に教えるということがあります。教えるためには知識のが必要です。つまり、話をまとめ自分のものにしておかなくてはならない。それが学びのためには有効なのです。学びあいの場の演出をいかに行うかを考えたいと思います。