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教科書に載っている古典(3) 今昔物語集・羅城門の上層に登りて死人を見る盗人の語

 芥川龍之介が『羅生門』を書く際に参考にした古典作品です。羅生門は本当は羅城門といいます。この文章の主人公は最初から盗人として登場し、最後にはその本領を発揮します。芥川作品の中にある盗人になるかならぬかという葛藤や、死人の毛を抜く老婆を目にした時の心の動揺などの描写はほとんどありません。逆に芥川が主人公の行動を近代的な個の意識のもとに詳細に描写しようとしたことが分かります。

 今回もかなりの意訳でお送りします。

 昔、摂津の国のあたりから、盗みを働くために上京した男が、まだ日が高かったので、羅城門の下に隠れて立っていたが、朱雀大路の方に人が頻りに歩いていたので、人通りが静まるまでと思って、門の下に立って待っていたのだが、山城の国から人々がたくさん来る音がしたので、彼らに見つかるまいと思って、門の上層にそっとよじ登ったところ、見てみると、火がほのかに灯されていた。
 盗人は、怪しいと思って、格子窓から覗いてみると、若い女が死んで倒れている。その枕元に火をともして、大変歳老いた女で白髪あたまなのが、その死人の枕元で死人の髪の毛を荒々しく抜き取っていたのだった。
 盗人はこれを見ると、納得できないので、「これはもしかしたら鬼ではないだろうか。」と思って恐ろしかったが、「もしかしたら死霊であるかもしれない。脅してみよう。」と思って、そっと戸を開けて、刀を抜いて、「お前は何者だ、お前は何者だ」といって走り寄ると、老婆は慌てふためき、手をすり合わせて動転していたので、盗人は「どこの婆がこんなことをしているのか」と問うと、老婆は「私の主人であった方がお亡くなりになったんだが、弔う人がいないので、このように亡骸をお運びしたのだ。その髪の毛は身の丈以上に長いので、それを抜き取って鬘にしようとしたのだ。お助けください。」といったので、盗人は死者の来ていた服と老婆の来ていた服と抜き取ってあった髪を奪い取って、駆け下りて逃げて行ってしまった。
 このように、その上層には死人の亡骸が多かった。亡くなっても葬儀ができない者をこの門の上に置いたのだだった。
 この話は、その盗人が人に語ったのを聞き継いで、このように語り伝えているということだ。(『今昔物語集』巻29の第18)

歌物語を書かせる

 中学生向けの古典の授業として歌物語を書かせるということをやってみました。伊勢物語や大和物語を勉強したあと、このジャンルの文学の特徴を直感的に分からせたかったのです。

 まず紙を配り、そこに自作の歌かもしくは既成の歌を書かせます。それを回収してシャッフルして配り直します。書いてある歌がどのような事情で作られたのかを想像し、席の近くの人と話し合いながら意見をまとめ、それをストーリーにまとめます。誰かが選んだ歌についての話を創作しなくてはならないことになります。

 これは古歌が伝承されていくうちに成立事情が分からなくなり、後世の人がそれを想像し歌語りを続けていくうちにストーリー性を帯びて、短編物語として完結する様を、教室内で短時間に再現したつもりなのです。

 この方法によれば創作の経験がなくてもストーリーが書きやすい。我が国において古くから神話を離れた散文学が発展できた要因の一つが歌物語の実践があったからだと思うのです。もちろん日記文学による内省の習慣もこれに複合するのですが。

 この試みは古典の時間に現代文の作文をさせるということで、少し抵抗感がありました。しかし、日本の文学において和歌が果たした役割を説明抜きに分かってもらえる方法の一つだと思っています。

SNSの俳句

 写真一枚で感情を伝えるInstagramSNSの俳句に当たるものかもしれないと思います。景によって情を伝えることは句作そのものです。インスタ映えなる言葉が流行していますが、写真にも映えるものとそうではないものとがあるのはジャンルに適した対象が文学にもあることと似ています。

 俳句という文学の表現的な特徴を説明する方法として、写真SNSの例を出すのは中高生には有効なのではと考えています。

教育用パソコンは国産で

 コンピューターが教育の現場で今以上に活用される時代が近づいています。大学入試をパソコン端末で行うようになればその勢いは一気に大きくなるでしょう。そのためには生徒用パソコンの開発を急ぐべきです。教育現場で何が求められているのかを精査して、過不足ない製品を提供する必要があります。

 日本のパソコンメーカーは新興国の競争に負けて次々に撤退しています。高性能、デザイン性などを追求するあまり使用者の求めるもの以上を提供し続けた結果、もともと経済環境的な不利があるのにさらにそれに追い打ちをかけているのが現状です。いまは超高性能型を少数売ることでブランドイメージを保ち、何とか存在感を示しているのが実情です。

 生徒が使うパソコンは標準的な機能があれば十分で、一部は省略可能でさえあります。一方で機材の軽さと堅牢性は不可欠です。また、継続的なメンテナンスが提供される必要があります。場合によってはレンタルや保障サービスなどに新しい展開が求められるのかもしれません。

 現状では価格設定から国産メーカーが教育現場に踏み込むのは難しいですが、薄利といっても恒常的な市場が約束される訳ですからこれを逃す手はありません。ハード、ソフト、サービスなどを練り直していただければ、と思うのです。

承認欲求

 自己肯定感を持ちにくい現状の中において、人々は承認欲求を高めています。誰にも認められていないと自覚した人がとるべき方法は、他人との交渉を絶つか逆に驚くようなことをして衆目を惹こうとするかのいずれかに進むことになります。

 問題行動と呼ばれるものの中にはその根底に自己承認欲求がある場合が多いのではないでしょうか。誰かに認めてもらわなければ生きてゆけないというのが、どうやら私たちの性のようなのです。

 もしそうであれば、互いの存在を認めることが社会平和の礎となることになります。挨拶を交わすことは最も簡単な他者承認の方法ですが、それもこの文脈で考えるならば意味あることとなります。

オスプレイ飛来

 昨日に続いて今朝もオスプレイが上空を旋回する光景を目にしました。特徴がある形は他の飛行機とは異なります。プロペラ推進のためヘリコプターのようで、速度は飛行機なのも印象的です。

 ミサイルの実験を止めない隣国がある以上、国防のための行動は緩和傾向にならざるを得ません。アメリカ大統領も訪日の際に武器商人のようなことも言っていたようです。これからまた見たことがないような兵器を目にすることもあるのではないでしょうか。

 願わくばそれらが使われないことを。

少々回復

 あまりにも喉の痛みがあるため、昼休みに職場近くの病院に駆け込みました。医者はよくあることといった面持ちで処方箋を書きました。素っ気ないのはいつものことなので言われたとおりに薬を飲むとさすがに症状は緩和してきました。しばらくは不快感と同居生活です。