はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

変化と流れ

 昨日が暖かかったために今朝はとても寒く感じます。気温で見ると数日前よりは高く、明日以降の冷え込みを考えるとまだ随分ましなのです。体感温度は変化によって感じるものだと痛感します。

 加えて今朝は風がやや強く、それがまた皮膚に冷たさを感じさせる要因になっています。変化と流れに戸惑い易いというのは人間の性なのかも知れません。

成人という節目

 今日は成人の日。可動型になってずいぶん経ちましたがいまだに15日が成人の日だという感覚は残っています。

 20歳が成人というのはあくまで制度上の話です。法律の扱いが大きく変わるということも極めて人為的なことです。本来、時間は連続的に過ぎ人間も老いていきます。その中で成人という節目を作ったのは人間の知恵の一つでしょう。せめて、昨日とは違う明日があるということを自覚するきっかけとして、こういう節目はたくさん作られています。

 その節目がいかに人為的なものであれ、新成人のみなさんにはこの節目を大切に考えてほしい。それが人生にとって大きな成長のきっかけになるのです。

 

協働指導力

 新学習指導要領が施行されれば生徒に協働学習能力が求められるようになります。他人と協力して未知の難問に取り組むのに必要な諸能力を若いころから鍛えておくことが必要と考えられたのです。しかし、それを教える側にその力が欠けているのが現状では大きな問題になっているのではないでしょうか。

 協働学習を進める上で有効な指導法がアクティブラーニング(以下AL)だとされています。これはある課題を生徒の協働的な活動を通して解決させるトレーニング方法です。トレーニングである以上、時間がかかり、しかも生徒間に達成度の差がでることも多くなります。評価の仕方が難しいのもこの指導法の特徴です。また、何かを教えたことを短中期的に記憶させ、そのアウトプット力を問う従来の試験方法と比べると効果が測定しにくく、実効性が発揮されるのに時間がかかります。

 問題なのがALなるものの定義が非常にあいまいで、生徒に何か作業をさせることがそのままALであるとも誤解されているのではないでしょうか。目的をもった学習活動であるはずなのに、とにかく話し合ったり、机を島型に組んで何かをさせればそれでよいと考えてしまうのです。たとえて言えば、つべこべ言わずとにかく走れとか、筋肉を鍛えるためにとにかく腕立て伏せだというようなものです。教える側も学習者もそれが何の役に立ち、何のためにやるのかを少しでも把握していなければ効果は半減してしまいます。

 こういうことを指導するには教師個人の指導準備ではままなりません。教員が知恵を出し合い、よりよい指導方法を常に考えなくてはならないのです。ところが、こういう新しい指導法に関して協働的な指導をしようと考える教員は非常に少ない。またしようと思っても日々の業務に追われなかなかできないという現状にあります。試されているのはまず教員側のコラボレーティブアクションです。

誤報とは言わない

 昨日、久しぶりに緊急地震速報が到着し、私の職場でも一時騒然としました。私は慌てて屋外に出る扉を開けてまわったのですが、大きな揺れはありませんでした。遠隔地で偶然ほぼ同時刻に起きた別の地震を同一のものとコンピュータが判断したらしく、それが大地震発生と速報されたようなのです。誤報と言えばそうなのですが、現在の技術的な制約上は仕方がないことであり、今後も継続していただきたいと思います。

 同じようなことは以前にもありました。当時のことはこのブログにも書きましたが、携帯電話に奈良で地震発生、強い揺れに注意といった内容が書かれており、一瞬警報を出す地域のミスと思い、いや世紀の本州大地震ではと緊迫しました。この時も離れた別の地震の同時発生が原因だったようです。

 地震の発生記録を見ると毎日、日本のどこかで有感地震が発生しています。それがごくまれにほぼ同時刻で起きることもある訳です。監視者としては万一のためにやはり最悪の事態に備えて予報する必要があると思います。

 未明から早朝にかけて関東南部では3回の有感地震がありました。ここ数ヶ月で大きな地震があるとのコメントをしている学者もいると報じられていましたが、それがこのことであればよいのですが。地震予知はいまだ困難で精度は期待できません。でも、無視もできない。何度も誤報に裏切られる。それを続けられれば幸せです。

仕事始め

 私にとっては今日が仕事始めです。生徒を迎える前にやらなくてはならない仕事を始めます。今年はカレンダーの関係で次の登校日は始業式であり、今日はかなり効率的に仕事を進めなくてはなりません。

 教育の現場はいま大きな変化の時を迎えています。そして、それに対応するために各教員が学ばなくてはならないことがたくさんあります。そのプレッシャーに立ち向かうには体力と胆力が要ります。私のような年配教員はもう一つ調和の触媒になる役目もあると心得ています。

 おそらく職歴としては纏めの時期に入った今年、やるべきことはしっかりとやって責任を果たしていきたいと思います。

漢文学習の隠れた効用

 漢文は生徒にとっては学習動機が上がらない分野の一つです。多くの生徒にとってセンター試験や私立や国公立大学入試に出題されることが唯一の学習理由になっているのが現状でしょう。でも、この漢文には隠れた効用があると思っています。

 漢文は中国の文語文です。現代中国語とは異なりより簡潔で単純な構造になっています。語順が意味に深くかかわる独立語の性格を強く持っており、句形と呼ばれるパターンが意味を決めていきます。日本語のような膠着語では語順の入れ替えは比較的自由にできますので、句形という概念は実はとても新鮮です。古代の超先進国が自国語とまったくことなる文法体系を持っていたことは様々な意味で日本語に大きな影響をもたらしました。現在の日本語は古代中国語をいかに理解するかを奮闘した上で変化したものとも言えます。

 だから、漢文の学習を通して言語の仕組みというものを比較対象として具体化できるという利点があります。漢文という外国語と日本語の相違を埋めようとする訓読の方法はその差を際立たせるきっかけであり、学習の端緒になります。

 英語の学習にもその視点は生きてきます。英語も日本語とはほど遠い文法体系を持っており、それを体系的に理解するのには時間がかかります。漢文の学習を介在させることによって文の構造を組織的に意識するものの見方ができるようになるのではないでしょうか。幕末から明治にかけての人々が恐ろしく速く英語を習得することができたのもの漢文の素養が影響したのではないかと考えています。

 そんなことをもっとわかりやすく生徒諸君に伝えて学習意欲を高めてもらおうと考えているのですが…。