はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

計画運休

 台風の接近が迫る中で、首都圏の鉄道は一部もしくは全面的運休の可能性を予告しています。いわゆる計画運休です。

 非常事態に備えて予め業務を取りやめるというやり方は近年急速に広まっています。業務を敢行した結果起きるリスクと、通常業務ができないことで起こる損益を天秤にかけた計算がなされていることになります。天災の場合は被害が発生したときの損失や人的被害が大きいために、計画運休はやむなしとされるのです。

 防災の意識が高まり、社会的な動きになったことは喜ばしいことです。ただし、ライフラインの確保だけはしなくてはなりません。電車が止まることで生命に関わる事態が発生するのだとしたら、それなりの対策が要ります。弱者がいるということを忘れてはならないのです。

気になるパイプ

 地下鉄駅の中で時々ビニールパイプが天井や壁から出ていることがあります。テープで貼りつけられたにわか仕込みの道具は何ともお粗末で少々不安を引き起こすものでもあります。

 これらは漏水対策としてつけられたものと思しいものです。微量な地下水が常時しみ出しているのを集め、利用客に当たらないように排水しているのでしょう。

 地下に構造物がある以上、こうした現象は不可避なのでしょうが、何とも不安な感じがします。地下にいるということはさまざまな制約のもとに存在することになるという訳です。

台風が来る

 台風19号が接近しています。衛星写真ではその巨大な姿が写し出されており、今季最大の台風となる可能性が高いようです。

 先に房総半島に多大な被害をもたらした台風の爪痕がいまだ癒えないうちに次なる来襲とは何ともやるせない。私ができることは僅かですが、せめてベランダの片づけだけはしておかなくはなりません。

 この台風の影響なのか分かりませんが、高温傾向はしばらく続きそうです。朝の最低気温はそれなりに下がりますから、体調管理が大変です。すでに流行り始めているインフルエンザも体調不良につけこんでくる可能性は大きい。

 いろいろなことの状況が乱雑になっている現状ではせめて身近な物事の整理からと思っていたのですが、台風は私の日常にも容赦ない攻撃を仕掛けてくるようです。

眼鏡

 眼鏡を新調したときに周囲が明るくなった気がしました。それまで使っていたレンズには知らないうちに細かな傷ができていてそれが光量を削っていたのだと思います。しかしわずかに変えた度のために想像以上の違和感を覚えたことも事実です。

 新しい眼鏡で最初に困ったのは階段の昇降でした。度を変えるとものの大きさが変わって見えるのです。私の場合は度を落としたのですが、それでも以前とは違う感覚で、危うく段を踏みちがえそうになったのです。

 私たちが見ているものは眼鏡を通して見えている世界です。実際には裸眼でものをみている人も、自分の眼球という装置でものをみている訳です。実際には別のものかもしれないのに眼球から視神経を通って脳に到達するパターンになれてしまうと、あたかもそれが事実そのもののように考えてしまう訳です。眼鏡をかける私のような近眼にはそれが実感として分かるという訳です。

 フィルターの向こうにある現実に関して私たちは簡単に信じ込んでしまう傾向があります。作ったばかりの眼鏡によろめいていた私は、最近はかけているのを忘れてそのまま顔を洗おうとしたりしています。もっともこれは私の愚鈍に起因するものではありますが。

楽器演奏

 実は昔から楽器を演奏することが好きでした。拾ったギターに弦を張って練習を始めた話は以前このブログで書き、島村楽器さんからご褒美をいただいたことがあります。実はその前から笛を吹くのが好きで特に南米の楽器ケーナは結構吹いていました。決して上手ではないのですが、何かに熱中できる時間が持てるのは楽器演奏のいいところです。

 今でも続いているのはギターやウクレレなのですが、それも楽器演奏禁止の賃貸住宅では思い切り弾くこともできません。楽器をもって公園にでも行こうと思うのですが思い切りがつかずに何もせぬまま最近は過ごしています。自転車の運転のようにある程度間隔があいてもギターのコードは覚えていて、ストローク演奏は何とか出来るのですが、メロディを奏でるとなるとさすがに毎日の練習が必要です。

 楽器演奏をするといわゆるボケ防止になるということはある程度あたっているのでしょう。指を譜面通りに動かすということ自体、かなり複雑な脳の活動を求められます。それを楽しみながらできるのがいいのでしょう。思い切りギターが弾ける環境がほしい。そのための時間と場所がほしい。などと考えているうちにどんどん時間が過ぎてしまいます。やがて手が動かなくなるその時が来る前に、無理しても機会を設けるべきなのだと考えています。

 

 

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表現するスキル

 表現する楽しみを味わってもらわなくてはならないと考えています。自分なりの考え方や感じ方を披露することに抵抗がないようにしなくてはなりません。

 伝統的な教育現場では教員の言ったことを素早く要領よく模倣することが学習であるとされてきました。しかし学びて思わざれば真の学習とはならないのです。思わせるためには自らの意見を発表することに躊躇してはなりません。学びの場面の中に自己表現が重要な位置を占めているのです。

 自分の考えを適切に伝えることができるスキルは実はかなり重要なコミュニケーションの要素なのです。

四季の危機

 明日の東京の予想最高気温は33度という情報があります。10月としての記録更新の可能性もあるとか。

 地球温暖化という言葉はすっかり市民権を得て誰もが知っています。その原因が人為的なものなのか自然の摂理なのかは議論がありますが、どうも人間の責任が大きそうだという考えに纏まりつつあります。それならばまだとるべき手があります。

 いずれにしても、この頃の季節は春と秋がやせてしまい、暑い夏と降りすぎる雪が多大なる被害をもたらしています。古典文学の世界では春秋こそが作品の生まれる季節であり、その意味において気候変動は文化的な大問題ということもできます。豊潤な季節のもたらす恩恵を失うことになるかもしれないのです。

 四季という季節感の危機を私たちは直視しなければなりません。