古典文学
中高生に日本の古典文学を教えるときには文法に沿った逐語訳をするように指導します。基本の段階では必要です。ただ、いつまでもこの不自然な訳語を続けることには害があります。 古典の面白さは正確な訳に基づきますが、決してそればかりではない。大切なの…
敗戦した燕は太子の平を王位に即けた。これが昭王である。王は戦死者を弔い遺族のもとを慰問して回った。また、自らへりくだり、待遇を厚くして賢者を招聘した。 ある日、家臣の郭隗に王は次のように言った。 「斉は我が方が内乱を起こしたすきに来襲して燕…
万葉集に出てくる人妻という言葉の意味について再考しなくてはならないと考えています。人妻は現代では他人の配偶者という意味であり、恋愛の禁忌に当たるものです。しかし、万葉集の歌にそれが使われるときには、単に不倫を連想させる言葉として使われてい…
昔の話だ。阿蘇某という史(4等官)がいた。身なりは小さいが、肝っ玉は恐ろしく座った人であった。 彼の家は西の京にあったので、公務があって参内し、夜が更けて家に帰るときに、東の中の御門から出て、牛車に乗って東大宮通りを南に進めさせて行くときに…
古典作品の読み方にもいろいろありますが、ゆかりの地を訪ねてみるというのも楽しみ方の一つとしてあげられます。 古典作品の中に出てくる場所が現在のどこなのかを特定することは意外にも難しいのです。地名が変わってしまうのはもちろん、同じ地名でもそれ…
芥川龍之介が『羅生門』を書く際に参考にした古典作品です。羅生門は本当は羅城門といいます。この文章の主人公は最初から盗人として登場し、最後にはその本領を発揮します。芥川作品の中にある盗人になるかならぬかという葛藤や、死人の毛を抜く老婆を目に…
今回は松尾芭蕉の奥の細道から「平泉」の段を<超訳>してみます。俳文と呼ばれる詩的な文体はそのまま現代語にすることを拒みます。今回はかなりの意訳を施して、なるべく原文の世界を写し取るようにしてみました。 藤原三代の栄華はあたかも一眠りの間の夢…
自分の勉強もかねて教科書に掲載されている古典文学の現代語訳を時々書くようにします。今回は今教えている宇治拾遺物語の「児(ちご)のそらね」です。ここでいう児とは貴族や武家の子どもが社会勉強の一環として寺院に預けられている時の名称のようです。…
古典文学を読む上で、何を目的にするのかは様々なあり方があっていいはずです。先日、先輩から御著者をいただきましたが、それは古典を現代の視点で読み直すという興味深い内容でした。学生時代、厳密な研究で臨まれていた先輩の思い出とはかけ離れた筆致で…
古典を教えていていつも思うのは心情語の豊富さです。現代では「すごい」「やばい」でほとんどすべてを表現してしまう場合も多いのと対照的です。「あはれ」と「をかし」の対比は有名ですが、そのほかにもさまざまな心情表現があります。そのなかには意味の…
イソップ童話はだれでも一度は読んだ物語でしょう。古代ギリシャでその原型ができたという寓話集は、動物を主人公とする教訓的な話で有名です。実はこの話は戦国時代の末期にポルトガルの宣教師たちによってもたらされ、「伊曾保物語」として翻訳されていま…
『今物語』は藤原信実が編纂した中世説話集です。1998年に講談社学術文庫で三木紀人氏の全訳注が出版されたため、大変読みやすくなりました。念のためにいいますが『今昔物語集』とは別の作品です。 編者の信実は13世紀ごろの人で、自ら勅撰集に多数歌を残す…
歌舞伎の「勧進帳」は歌舞伎十八番の一つ。市川海老蔵・団十郎のお家芸として江戸時代から今に伝えられているものです。初演は天保11年(1840)です。これは源頼朝に追われて諸国を敗走する義経一行が加賀の安宅の関(現在の小松市)まで来たとき、関守の富…
古事記は日本書紀とともに神話と呼ばれる作品です。神話はファンタジーとは異なり、あくまでそこに述べられていることは真実であり、現在のさまざまな事実の理由説明になる規範であったと考えられます。 古事記を読んでいて少々気になることがあります。それ…
百人一首の最初の一首は、 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇 です。この歌の典拠は『後撰集』です。ちなみに百人一首は鎌倉時代の初頭に藤原定家が勅撰集の中から百人の名歌を選んだものです。天智天皇は大化の改新で活躍した…