はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

懐かしの太平洋クラブライオンズ

 現在、埼玉西武ライオンズはかつての太平洋クラブ時代のカラフルなユニホームを着用して試合をしています。福岡市の平和台球場を本拠地をしていた太平洋クラブライオンズには、個人的に深い思い出があります。
 横浜から福岡に引っ越したのは、私が小学校2年生の時でした。博多弁が分からず、東京弁でクラスメートに話しかけると「つやつけとう」(かっこつけ)と言われ、孤立してしまいました。クラスの男子児童はほとんどがTの字をデザインした太平洋クラブライオンズの帽子をかぶっており、放課後はハンドベースかソフトボールを毎日のようにしていました。
 当時のライオンズの選手には東尾や東田、竹之内、白などの選手がいましたが、成績のほうは今ひとつで常に最下位争いをしていました。何度か父やいとこに連れられて平和台の外野席に行った記憶がありますが、試合の思い出はほとんどなく、うどんかなにかを食べて喜んだことしか覚えていません。
 さて、孤立していた転校生の私が福岡の子になれたのはやはり野球のおかげでした。ライオンズが好きな同級生たちと少年軟式野球のチームに入り、へたくそながら試合に出る仲間になったからです。当時は学習塾に行くなど考えられず、放課後は少年チームで練習したものです。ライオンズの選手みたいになるんだとか、東尾のサインをもらったとかそういう話をしているだけで幸せだったのです。
 私は父の突然の転勤にともない再び東京へ転校することになり、福岡の友達との関係もそこで途切れてしまいました。ライオンズはその後、身売りを繰り返し、本拠地まで所沢に変えてしまいました。その後、ホークスが福岡に来るとは誰も考えだにできなかったのです。
 私にとって太平洋クラブライオンズは、少年時代の苦く甘い思い出のひとつのよりどころなのです。