はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

英語教育の目標をしっかりと

 すでに小学校5、6年生で英語の教育が行われていますが、さらに下級学年でも英語を導入すべきではないかという議論があります。私は条件付で賛成という立場です。
 これまでも日本の英語教育についてはさまざまな批判がありました。中高6年間学習しても少しも話せるようにならない無駄な科目であるといった批判はかなり多数派ではないでしょうか。思うに日本の英語教育はとても体系的であり、能率性もいいと思います。しかし、それがどんなにすばらしいものであっても、教育の目的が伝わってない以上効果は現れません。
 現在の英語は主に入学試験科目「英語」のために行われており、それで高得点を取る目的に特化され過ぎています。この「英語」はあくまで日本の学校や企業のための英語であり、英語を使って生活する人々のそれではありません。だから、おおくの学習者は入学試験、入社試験の終了段階で英語学習の目的は終了したものとしてしまうのです。
 英語教育はその目的を正確に伝えなくてはなりません。多くの日本人にとって英語は自分の生の心情を吐露するための言語ではありません。あくまでも日本語話者以外の人とコミュニケーションを図るための道具です。まずはそのことを重視して、どうしたら日本や日本人を知らない人に自分のことを分かってもらえるのかを説明する能力を優先的に身につけさせるべきでしょう。
 私は国語教師として日本語が今後も輝きを持ちつづけるべきであるし、そうでなければ日本人が生き残る道はないとさえ考えています。しかし、世界の中で日本語は極めてマイナーな方言であるのは紛れもない事実です。私たちが生き残る道はたとえ完璧ではなくても母国語と英語(英語でない別の言語でもいい)が使えなくてはならないと思うのです。
 日本人が英語ができない理由は、英語を使わなくても生活が十分に可能だからです。学問の世界でもビジネスの世界でも一流の現場はもちろん英語(外国語)が必要ですが、そうでなければさまざまな翻訳がなされています。また、外国文化を和風化した代替物がかなり高水準で普及しているために、英語を話さなくても何とかなるのです。
 英語圏以外で英語話者が多い国に共通するのは、英語の能力の有無が死活問題になっている状況があることです。その点、日本は恵まれています。いや、恵まれていました。いままでは。
 近年、国際競争が生活レベルまで降りてきており、これまでのやり方では危機を感じる事態になっています。また、外国語ができないあまりに国際的なトレンドに乗り遅れてしまうという話もよく聞きます。このことは今後の日本のあり方に大きな影響を及ぼすでしょう。
 私は英語教育に、日本の将来を築くための国際競争力の下地という戦略的目的を明確化するべきだと考えます。戦争を放棄したわが国にとって、コミュニケーションは唯一の「武器」であり、相手との協調、友好な関係を図りながらも自らの地位を確保するのは言葉の力であると思うからです。
 そういう目的を国民が共有できれば、英語への関心も高まり、また受験英語で最終章という現状を打破できるのではないでしょうか。