はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

最後の一画

 教員は毎日が反省の連続です。私は授業が完璧にできたと満足したことがありません。もちろんあるときにはかなりうまくいったという達成感を持つことがあります。しかし、それは多くの場合自己満足であり、後ほど生徒の感想を聞く機会があった場合、自分の考える以上に伝えるべきことが伝わっていなかったことを知り失望することばかりです。自分の能力のなさにはいつも打ちのめされる思いがするのです。しかし、教員である以上、次こそはという思いで準備をするしかありません。

 最近少し分かってきたことは、説明しすぎはいけないということです。言葉をかえるならば、分かりやすい授業は必ずしも良い授業とはいえないということにもなります。

 これまで私は、授業にとにかく分かりやすさを心がけてきました。板書するにしても補助教材をつくるにしても、一目瞭然、簡潔明瞭を心がけてきました。しかし、これは学ぶものにとっては余計なおせっかいなのです。学習者は複雑なことがらをよく訳が分かっていないのに受容し、それを体系化して自分の知識として取り込みます。もちろん予め整理されたものをそのまま受容したほうが効率はいいし、習得にかかる時間も短くて済みます。これが落とし穴なのです。

 苦労して覚えたことはなかなか忘れません。また、自分で考え組織化したものはその構造の隅々まで目が届きます。一方、いってみれば完成品のパッケージで受け取った知識は、その中身を確かめないうちに使うことになるので、知識の内容構成についてはブラックボックスになってしまいます。これがすぐに忘れるという問題をおこしてしまうのです。

 適切な比喩か不安ですが、教えるということはたとえば漢字の最後の一画を書かずに、学習者に書かせるといった按配が求められるのではないでしょうか。どんな字になるかおおよそは推測できても、最後に文字を仕上げるのはあくまでも学習者である。そういう授業ができればよいのにといつも思っています。