杞憂
ロシアに隕石が落ちたことをきっかけにこれまでの隕石落下の記録について調べてみたら、結構頻繁に落ちていることが分かりました。ほとんどが体験で燃え尽きる流れ星なのですが、落下したものも多いようです。
杞憂という故事成句は空が落ちてくるという取り越し苦労を批判的にいう言葉として使われていますが、それほど荒唐無稽な心配でもないらしいことがわかりました。
極めて低い確率ながら、まったくゼロではない危険に対して、私たちはどのように接していいのか分からなくなります。態度が決まらないので、大概は忘却され、そしてたまに実際の確立以上に不安になるのです。
でも、ゼロではないものにそなえることは矢張り必要な気がします。さすがに隕石落下はいたしかたないかもしれません。せめて落下の予知のための技術は研究する価値があるのではないでしょうか。隕石落下よりもはるかに確立が高い天災や人災についても私たちはふだんから考える必要があると思うのです。