はてなの毎日

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人形の役目

今週のお題「ひな祭り」

 今日はひな祭り。人形たちが主役のお祭です。旧暦3月3日は上巳と呼ばれた節日の一つ、後には節句とも言われるようになりました。本来、この祭礼に雛人形は無縁であったようで、後世に次第に今の形へと変化したようです。

 上巳は曲水の宴がおこなわれたことでも知られます。遣水に盃を浮かべそれが自分の前を流れる前に歌を詠むという風流の行事として知られていますが、この日の行事はもともと水に関係があったようです。本来は禊を行い生命力を回復する祭礼であったようで、水辺でおこなうのは罪穢れを水に流す目的があったと考えられます。

 禊や祓えをおこなう際に古代から用いられたのが人形でした。私がその実際の様をみたのは埼玉県の鷲宮神社に伝わる催馬楽神楽に付属する行事でした。この祭礼では小学生くらいの女の子の神楽の奉納の後、紙でできた人形(ひとがた)を近くの川に持っていって流すのです。このような行事は全国各地にあって、人形が祓えや禊の呪具であったことを伝えています。ひな祭りでもいわゆる流し雛もしくは雛流しという形で人形を河などに流す地方があるのは、その影響にあるものなのでしょう。

 現在のひな祭りは雛人形が豪華になり、毎年繰り返し使用する形になっています。しかし、祭が終わったらすぐに片付けなくてはならない。そうしないと婚期が遅れるなどというのは、やはり人形が穢れを祓う呪具であったという印象が無意識的に継承されているのではないでしょうか。

 話はがらりと変わります。先日アメリカのコメディ映画「ted」を観て来ました。この先はいわゆるネタばれの記述がありますので、映画をこれから御覧になる人はここでおやめください。

 内気で仲間はずれの少年がクリスマスプレゼントのテディベアに友人になって欲しいと願をかけたところ、奇跡が起きてぬいぐるみに生命が宿ります。テッドと名づけられたそのぬいぐるみは一時期大変な人気者になりますが、その後は一発やよろしく落ちぶれてしまいます。35歳になった元少年はテッドを親友として不思議な共同生活をおこなうのですが、彼にガールフレンドができてからテッドの立場が変化していきます。

 この映画はアメリカ的なきわどいコネタが満載で、エログロナンセンス的な要素を意図的にちりばめています。現代のアメリカ人にしか分からないギャグやアイロニーなどもあり、翻訳者が日本の代替物に置き換えて字幕を作っていたことには苦労の後が偲ばれました。

 さて、このテッドはいってみれば35歳になった男の幼児性、未成熟性のシンボルとでも言うべきものでした。雷を怖がり、仕事をさぼり、言い訳をし、恋人との交際も将来を見通して真剣になることはできない。そういう状況がすべてテッドという人形を所有しているという形で具象化しているのです。男は恋人に認めてもらうためにテッドから卒業しようとします。そして別居を申し出るのですが、肝心なところでテッドを捨てきれないのです。モラトリアムのさまがそのまま描かれているといってもいいでしょう。

 映画ではテッドが誘拐され、最終的には破壊されて生命を失う様が描かれます。その後、恋人の祈りによって再度命を吹き返すのですが、そのときにはもう幼児性の象徴ではなくなっているようでした。

 理解できないアメリカンジョークの連続の中でも、私はこの映画が日本人にも受け入れられるだろうと思われます。もちろん熊のキャラターの可愛らしさもありますが、伝統的な日本の人形観に照らし合わせても、テッドという人形が結果的に主人公の未成熟という穢れを浄化して、大人への昇華を手助けしたという筋立てがしっくりとくるからだと思うのです。

 今では女の子の祭に傾斜しているひな祭りですが、もともとは人形にたくして身を清める日であった3月3日の意味をもう一度考えてみたくなった次第です。

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