はてなの毎日

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東京大空襲

 1945年3月10日、太平洋戦争の末期に東京の下町、深川、城東、浅草などの住宅密集地へのアメリカ軍による爆撃が行なわれ、甚大な被害が出ました。死者は10万人に及ぶと言われています。軍需産業を下町の工場が受け持っていたことが大義名分だったようですが、実際は非戦闘員に多数の被害をだすことにより、戦意喪失を狙ったものと考えられています。

 今日、こうした無差別な殺人はたとえ戦争状態にあっても非難されるべきこととされていますが、実際の戦争はそんな奇麗事は通用しないのです。振り上げられたハンマーはその下にあるものが何であろうと打ち砕いてしまいます。

 3月10日の出来事がすでに国民のなかでは忘れ去られようとしています。死者への哀悼の意は、反戦という形で実行されなくてはなりません。この件では被害者としての立場でものごとを考えてしまいがちですが、それは正しくはありません。そもそも戦争を回避できたならばかような悲劇は起きなかったのです。

 日本という国が世界になにかを発信できるとしたら、戦争を起こし、その甚大な代償を払った経験のある国家として、戦争の非を訴えることでしょう。それはあるときには「戦闘的」でなくてはなりません。平和の意味を伝えるには武器を持たずに、武器を持っている人に戦争をやめようと言い続けることなのですから。