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映画 アンナ・カレーニナ

 映画の「アンナ・カレーニナ」を観てきました。原作はトルストイの小説で、すでに何度も映画化されている作品です。そして、映画とともに演劇としての上演史も重ねており、まさに不朽の名作といえるものでしょう。

 今回の映画はアンナ役にキーラ・ナイトレイという華やかさをもった女優が演じ、恋の火花をちらすヴロンスキーにはアーロン・テイラー=ジョンソンという絵に描いたような王子様的俳優が配役されています。さらに厳粛で世間体を大切にする夫のカレーニンにはジュード・ロウが配役されているのですが、この夫があまり悪役に見えないのが今回の特徴の一つかも知れません。

 今回の作品で全編を貫くのが演劇的な手法です。物語は舞台上で展開し、時にその舞台は現実世界に拡張していくという世界の伸縮がなんども展開します。先日観た「レ・ミゼラブル」では、ミュージカルがそのまま現実の世界で演じられるといった感がありましたが、これは現実の世界がそのまま舞台であるという手法です。演劇が舞台の上で演じられるために起きるさまざまな制約をこの映画は逆に利用し、演劇的な演出を映画的なリアリティのなかに包含してしまっているのです。愛の物語が演じられているのが現実なのか舞台なのか、最初は気になり違和感を感じるのですが、時間がたつうちにそれが不自然でなくなっていくという、まさに私たちが演劇を鑑賞する際におきる心の動きをこの映画は引き起こすのです。

 今回のアンナは大変美しいし、現代的な華やかさがあります。私としては後半の狂乱の場面にいたっても妙に健康的に見えるのが気になりました。これはこの女優の持ち味であるので賛否は別れるでしょう。先にも書きましたがジュード・ロウの演ずる夫カレーニンが世間体だけを気にして結婚を社会的な道具として利用する作品の時代にとっての当たり前の人生観を象徴する人物なのですが、今回の演技では単に妻の不倫を見てみぬふりをする人物というより、妻や恋敵に大局的な哀れみをたれる超越的愛をもった人物のように見える場面が多々ありました。それはそれで魅力的なのですが、作品のテーマが分かりにくくなってしまったのではないかと思うのです。アンナが単に奔放な女性と見えてしまうのはそのせいかもしれません。

 もう一つの恋愛のあり方を対比的に演じるリョーヴィンとキティの役どころは大切で、この役を演じたドーナル・グリーソンとアリシア・ヴィキャンデルの初々しい演技も見所です。

 さまざまな演出や設定が凝らされた今回の映画作品はこの作品の享受史にあらたな1ページを加えるものでしょう。観る価値があると思います。