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敬語の役割

 ラジオ番組で「年下がためぐちを使うのは許容できるか」といった内容の話題が扱われていました。街角でインタビューした内容をもとに敬語がどのように使われ、どのように受け取られているのかを扱ったもので、私は運転中に聴いていたのですが、少し興味を惹かれましたのでその内容と私の意見を記しておきます。

 インタビューを受けた人は大体20代から30代の男女で、世代的なかたよりがありました。彼らの多くはインタビュアーの「年下のためぐちは許せますか」という質問に、許せると即答していました。ただし、それにはいくつかの条件があると述べる人がほとんどでした。

 まず、年下がためぐちを使うのは親密度が確定してからというものがほとんどでした。初対面でいきなりためぐちで話しかけられると不快であるという考えが大半だったのです。

 さらに、年下がためぐちを使えるのはビジネス以外の場面であり、仕事の話をする場合は親密度に関わらず、年上には敬語で話すべきであると答えた人が圧倒的に多かったのです。これには男女差はなく、多くの人がそう答えていました。この番組では放送中にメールで寄せられた意見も紹介していましたが、多くはこれと同意見でした。

 プライベートな場面で年下がためぐちを使うことに関しては大半が許容しており、なかには敬語で話されると距離を感じてしまうのでためぐちで話して欲しいと頼む人もいるようです。また、年上に対してためぐちで話すことを日常としているという人は、いわゆる末っ子的な甘えの雰囲気を演出できるのでかえって好感を得ることがあるとの意見を寄せていました。

 年功序列的な社会体質が崩壊しつつある今、敬語は過去の遺産であり、将来は消滅するだろうし、そうしなければならないと主張する意見もありました。社会の硬直性を敬語を止めることで解消できるのではないかというのです。

 私はこれらを聴きながら、賛否いろいろな意見を持ちました。番組内でも紹介されていましたが、英語やその他のヨーロッパの諸言語にも敬意を表す言語表現は存在します。PleaseやWould you mindのような単語レベルでの置換えや追加でおこなうものが多いです。

 韓国語のように日本語と似た敬語システムを持っている言語もありますが、同じ敬語を持ちながらも韓国語では敬語は絶対的な関係で使われます。つまり、人にはそれぞれの言語的な上下が決まっていて、どんな場合でも自分より上位の人に対しては敬語を用いるのです。韓国では初対面の人でもすぐに年齢を確認しあうそうですが、それは絶対的な敬語を使うには最初に相手の位置を確かめる必要があるからでしょう。

 日本語の敬語はそれに対して相対的敬語といえます。目上や目下の関係はそのつど変動します。社長に対して社内では尊敬語で話しても、社外の人には敬語をはずし、相手に対しては謙譲語で話すといった切り替えを即座に行なう必要があります。つまり、日本語の敬語は相手との関係性で使い方が決まるのです。

 最近の敬語の混乱はこの関係性をうまくつかめないところからくるのでしょう。かつてのような身分制はなく、長幼の序についてもうるさくなくなった。さらには能力主義と称される職業観の導入で、個々人の関係性は一層複雑になってしまったのです。だれに対してどのような敬語を用いればいいのかが分かりにくくなったのです。

 敬語には敬して遠ざけるという効果があります。もともと敬意とは自分と相手との差を言語上でつけることにより、両者の地位の差を際立たせる目的で使われているのです。そこで敬語を使うとよそよそしいとか、本音を隠しているのではないかと感じるといった感想を持つことになります。

 しかし、実は敬語には言語表現によって人間関係を容易に表せるという利点もあります。自分にとって相手はどのような立場なのか、心理的な距離はどれほどなのかを非常に分かりやすく表現できるシステムなのです。この効果、利点を捨て去るのは非常にもったいないことだと私は思います。敬語廃止論者はこのことに気づいていない。社会の硬直性を敬語廃止で促進できるといった幻想より、極めて単純に人間関係を構築できる敬語の効果のほうがはるかに上です。敬語の廃止については日本の社会が国際的に低調の時に噴出しますが、それは現状に対する不満を言葉のせいにしただけのことでしょう。

 私は敬語システムのもつ人間関係構築機能を教育の場でもっと分かりやすく教えていくべきだと考えています。それは道徳教育とは別次元の問題だと考えているのです。

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