はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

手段としての読解力

  国語とりわけ現代文の授業でいまできることとしたら、読解の手続き、方法を教えることにつきます。一つ一つの文章を掘り下げてその内容の背景までを考察することは、時間的にも私の能力的にもとてもできません。できるのは、どうしたら短時間で筆者のメッセージを把握できるのかという方法論にすぎません。
  ただ、これに徹し過ぎると授業は暗号読解やパズルの解き方の域に止まり、面白くなくなります。この先に進むと豊穣な世界が待っているという予告をして切り上げるのが大切だと思います。