はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

空気を読む

  ひと頃ほど聞くことはなくなりましたが、空気を読むという言葉が無批判に用いられることに抵抗感を覚えることがあります。それが配慮の意味で使われるならまだしも、同調の強制の意味で使われることも多いからです。その場合、しばしば排除の脅威をちらつかすことがあり、考え方の多様性を認めない狭量さが正当化されます。均質な考えしか持たない集団は状況の変化に弱い。様々な人物あっての社会であることをまず考えるべきなのです。