はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

ものの大きさ

 物質的な大きさは数値化できます。少なくとも日常生活のレベルにおいてものの大きさは何らかの単位で測ることができることになっています。しかし、それはあくまで物質的な観点からであり、実際我々の前に立ち現れるものの大きさは日々変動しています。

 同じものが大きく見えたり、小さく見えたりする経験は私にとっては日常的なものです。大小のみならず、場合によっては不可視になることすらある。意識が対象に向かわない時は目の前にあっても見えないことがあるし、過剰に対象に意識が向かうときは、そのものが視界を全て覆っているかのように感じることもある。つまり体感するものの大きさは自分の状態によって日々刻々と変化しています。

 同じ道を歩いているのに私は平日に見る風景と、休日に見るそれが全く違うように感じることがあります。私の目は実はかなり主観的なもので、語弊を恐れずに言えば見たいものしか見ていない。あるいは逆に見たくないものしか見えない。そういう矛盾した次元を行き来しているように思えてなりません。

 教員という仕事をしていると、そういうことが時々とても気になることがあります。自分が見ている風景と他者がみているそれとが同じであることを前提にものを伝達することは、ひょっとしてなにか大切な手続きを飛ばしているのではないか。自分にとっての当たり前の風景が生徒にとっても同様に見えているのかとまずは疑ってから始めるべきではないかと。

 日常の忙しさの中で根本的な感覚のありかたというものを見失いがちであることを私達は考え直さくてはならないと思うのです。ものの大きさが実に恣意的相対的であるということを考えるべきではないでしょうか。