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自動運転車が日本を救うのか

 自動車はautomobileの翻訳語と考えられます。この語には馬車などのように他の動力を必要とせず、レールや架線もいらない自ら走るものという意味が込められています。autoの語の意味範囲には自動的という意味もあり、automaticのように機械的な自動化に対して使われる言葉もあります。最近、この意味でもうひとつ進んだ自動車、つまり自動運転車が注目を浴びるようになってきました。

 自動運転はオートパイロットとも呼ばれているようです。航空機の世界では当たり前になっていますが、道路の事情や歩行者などの不確定要因が多い路面を走る自動車のオートパイロットはなかなか進みません。技術的な制御性能の制約と、信頼性を保証できない状況での法的な規制とがこの方面の開発の妨げになってきました。ところが、衝突防止の自動制御装置などが日本車を中心に導入され市販されるようになってきたことから、本格的な自動運転車の開発が再び注目されているようです。

 自動運転を支える技術は高度な情報処理能力を持つ小型のコンピュータが中核になります。しかも車載されることから、振動や寒暖の変化などの厳しい条件に耐えられるものでなくてはなりません。万が一の時の危険回避の手順も整備する必要があります。スマートフォンで出遅れた日本の技術がここで生かされるのではないかという期待があるのです。スマートフォンはどんな最新機種でもフリーズしたり、アプリが突然停止したりすることがあります。また寒い日に使うと電池の消耗が激しく、あつすぎると熱暴走でフリーズします。それでもスマートフォンが動かなくなることが生命の危機に直結することは日常の場面ではほとんどありません。つまり、その程度の信頼性でも十分商品化できるのです。

 ところが車載コンピュータの不具合はそのまま搭乗者やその周辺の人々の命に関わることになります。より、高く洗練された技術が必要になるわけです。我が国のコンピュータはハイスペックを追求し、一般のニーズを超えてしまったため、新興国のコストのかからない生産システムに太刀打ちできず、撤退を余儀なくされたというのが一般的な見方です。日本の機械はとにかく高機能だが、その機能のほとんどは使わないし、使いこなすのが難しい。それが国際的な評価だと聞いたことがあります。

 このオーバースペックな技術開発こそ自動車制御装置には適合するというのです。自動運転は事故を減少させ、無駄なエネルギー消費を抑えるという効果が期待されています。持続可能社会を世界が目標とするこれからの時代に適合した技術として、多大な需要が見込まれるのです。

 実は自動運転車はメルセデスなどの欧州メーカーが一歩リードしています。これには公道での運転規制が緩やかなことや日本同様に技術開発に情熱を傾ける風土などが影響していると思います。ただ、車載コンピュータの小型化という点においては日本がやや有利らしく、インテルもパートナーとして日本企業を選択しました。

  はたして、自動運転車が技術立国日本の復活の糸口になるのか。誰にも真似できないものを作る国の復活を大いに期待するのです。