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「なぜ」と言わせる授業に

 探求型授業に関しては模索を続けています。もっとも難関なのは入試で決まったある正解を出すためにだけ勉強してきた生徒を、自分自身で考え、各自の解答を論理的に説明させるように転換することです。簡単に言えば、丸暗記で答えることに長けた頭を、自分で理屈をつけて答えを考えさせる力に変えることだと思っています。

 そのためには「なぜ」という発問を自由にできる環境を作らなくてはなりません。幼い子供は「どうして」「なんで」を連発してしばしば親を困らせます。子供は物事を体系的に理解することができないので、一つずつ疑問をぶつけてきます。大人は最初こそそれに対応するのですが、あまりにしつこいと途中で打ち切って「当たり前」「常識」という言葉でそれを遮るのです。

 中学受験は一見こどもの探究心を育成するように思われますが、現実には正解の丸暗記が大半です。どうしてその答えが生まれてくるのかという因果関係を理解するには発達段階的に困難で、まずは覚えてしまうことで答えを出します。この世代は暗記力という点においてはすばらしい能力があり、その差で合否が決まることになります。もちろんこれは非常に意味があることで理屈抜きに覚えるというのは大事です。

 しかし、ある一定水準以上の知識になるとまず暗記すること自体が難しくなります。さらに、複雑な数式や、社会問題のように複数の要因が絡み合う問題になると、暗記だけでは立ち行かず、自ら考察をすることが欠かせません。その考察の出発点が「なぜ」と考えることなのです。

 だから、大人が一度は抑制してしまった子供の「なぜ」発問の欲求を、今度は意図的に引き出さなくてはならないのです。そして、おとながその答を答えるのではなく、発問した子供自身に答えを考えさせなくてはなりません。教師の仕事の大半はこの考え方の流れを作ることと考えています。

 実際に授業を運営する身になってみると、この方法はかなり勇気がいる試みになります。教員としては決まった答えを強制的に覚えさせるほうが楽だし、テストの成果もすぐに上がります。一方、生徒に疑問を持たせて考えさせるという方法は授業時間内に完結できる可能性は低く、結局答えは出なかったという段階で終ベルがなることだってあるはずです。それでもいいのだという覚悟がいるのです。

 今年度は進度に関してはかなり余裕をとって、その代わりしっかり考えさせる授業にすることを考えています。それが成績向上につながるのかという点にかなり懸念があるのですが、やるしかないと考えているのです。