はてなの毎日

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古典を教えよう

 新しい教育観について不安に思うことがあります。それは結果を重んじすぎる風潮に教育が飲み込まれ、結果的に何も考えられない人材を輩出することになるのではないかということです。

 現在の大学に対する批判は、実際の産業界との乖離にあるとするものがほとんどです。大学で学ぶことは社会では通用しない、もっと実用的なことを教えようという主張になります。その流れは拡大解釈されて、例えば今時古文や漢文を教えていて何になる、哲学や歴史もそこまで教える意味があるのかといった話になります。そして中等教育においても実用から遠い教育は整理して、その分、プレゼンテーションの仕方とかICTを教えようということになるのです。これはとても危険な教育崩壊の前兆です。

 そもそも実用的なこととは何でしょうか。コンピュータの操作法や最近の経営方法といったものは日進月歩であり、それを覚えることはもちろん必要です。しかし、これらはあくまで表面上の手段であり、その根幹にあるものがなければ何もできないと思うのです。

 我が国の創りだすモノや制度などが海外で評価されているとすれば、それはここにしかない独自性があるからだと思います。同じものを同じように造る分野においてはほぼことごとく新興国に負けています。その独自性の源はやはり我が国のこれまで成り立ちに起因するものでしょう。それを考える教育を縮小することは日本のオリジナリティを否定することであり、グローバル社会の最下層に自らを位置づけることにならないでしょうか。

 そうならないためにも大学でも、中等教育においても「古典」の教育を充実させるべきであると思います。文学や歴史の分野にとどまらず、各部門の学問において日本のオリジナリティに配慮し、さらには海外との差異を比較できるように海外の古典も学べるようにするべきです。大学人には教養の重要性をもっと分かりやすく説明する努力を行ってほしいと思います。