誤答からの出発
参加型授業をやっていく上で表面化するのが、生徒の誤答をどのように処理するかということだと思います。自由に話し合わせるという方法は、単になんでもありという訳ではないはず。特定の範囲の中での期待値に生徒を導かなくてはなりません。
従来のように教員が用意した答えのみを正解にし、それとの近さをもって点数をつけるという方式ではこうした悩みは出ません。誤答はあくまで誤答であり、矯正されるべきものであると考えればよいからです。
しかし、国語教育の流れは答えそのものよりも、答えにたどり着くための過程を教えることに関心があるようです。私も考え方を教えるという路線には基本的に賛成であり、試行錯誤で実践もしているところです。すると生徒の評価は答えだけにおくのではなく、過程に注目しなくてはなりません。
授業の中でそれを実現するためには何が要るでしょうか。まずは期待値から外れる答えをむげに否定しないということでしょう。しかし、結果的に間違った答えにたどり着いている事実は無視できません。そこで、その生徒にはどうしてその解答にたどり着いたのかを分析させ、発表させることをせねばなりません。
これは言うが易く行うに難きことです。思考の過程を説明することは論理的な思考力が要求されます。そもそもその欠如が誤答をもたらすのですから。
どのように考えたのかを説明させるには、文章読解ならば根拠となる表現をいちいち指摘させることや、そのつながりをどのように解釈したのかを解明させなくてはなりません。これには相応の時間がかかります。現在のカリキュラムの進行を考えると明らかに時間が足りないのです。
そこで国語教員がやらねばならないのが思考の型をはっきりと提示し、分かりやすく説明することです。そして生徒の思考過程をどれだけ察する能力をつけるかだと思います。誤答した生徒はなぜそれが間違っていたのを納得させる必要があるのです。