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ツイートのリテラシー

  最近、テレビのニュースバラエティ番組などで画面の下隅に視聴者のツイートを流し表示する番組があります。番組の内容に対する視聴者の反応を即時的に収集し、公開する手段としてTwitterが活用されていることになります。果たしてこの手法に問題はないのでしょうか。
  Twitterは敷居の低いSNSとして定着しており、参加しやすいメディアです。参加者はフォロワーになることによって相手の発言を読むことができるという一応閉じられたネットワークです。それが公共の電波に乗った場合、全く違った意味を持つようになります。冒頭に述べた番組のほとんどは画面上に流れるツイートを非表示にはできません。放送内容と同レベルで一斉放送されているのです。
  番組制作側の意図を斟酌すれば、視聴者の意見を流すことで送り手と受け手の距離を縮めようとしているのかもしれません。さらには番組内容の価値を反応の存在を見せることによって保証しようという意図もあるかもしれません。また、本当のTwitterのタイムラインをみた時に感じる玉石混淆な雰囲気や、とんでもない発言に対する屈折した期待感などを想起させる効果も狙っているのでしょう。
  私が問題としたいのはこのパーソナルな発言が非表示にできないという事実です。ツイートする人はハッシュタグを付ける時点で、自分のツイートがテレビ画面上に流れるかもしれないことは承知しているはずです。ただし、その内容に関して責任感は希薄と言わざるを得ません。リアルタイムな反応が求められている以上、考察や検証の余裕は全くなく、訂正の機会もありません。にもかかわらず、視聴者の立場からすると番組本編とツイートは同じレベルで画面上に表示されていることになるのです。この事実は軽視すべきではありません。
  また、画面に流すツイートはおそらく直前に制作側の検閲がなされているはずです。匿名性の高いTwitterでは公共の場にふさわしくない情報で溢れており、明らかなモラル違反もあります。それらをシャットアウトするのは当然ながら、おそらくこの段階で番組の趣旨に合わないものや、スポンサーへの配慮などがなされているはずです。すると、流されるツイートは送り手のふるいにかけられたごく一部のものであり、決して視聴者の代表などではありません。極端なことを言えば番組スタッフの作文かもしれないのです。さすがにそれはないと思いますが。
  以上から私はテレビ画面上に即時的なツイートを掲出することには反対です。少なくとも非表示できる設定にするべきではないでしょうか。