はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

考える道具として

 国語を教えることの意味を考える上でやはり道具科目という位置づけを忘れてはならないと思います。私たちは言葉を使って物事を考える以上、言葉の数を増やして、その使い方の精度を上げていかねばなりません。それが様々な思考や創造の基本になることを承知しておく必要があります。

  アクティブラーニングという言葉が教育界では流行っています。生徒側が積極的に学びに参加する授業形態をいかに演出できるかが教員側の課題になっているのです。授業の中で話し合いをさせたり、発表をさせたりすることはその具体的な姿です。またICTを教材、教具として活用することも推奨されています。そして、そういった外から見える変革は評価をされやすいと思います。結果として似たような授業になり、その内実は成果の上がらないものであったりします。

 言葉を使うことそのものを磨き上げる授業にするためには、何よりもまずは言葉を覚えなくてはならない。話し合うより前に言葉の数を増やすことや漢字が書けるようになること、いろいろな表現の仕方を身に着ける作業をせねばなりません。国語では特にそのこだわりを持っていなければ、理科や社会などもできる分野に偏重し、基本を忘れてしまう気がするのです。道具としての母国語を教える科目であることの意味を再認識する必要があります。