はてなの毎日

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短時間に書く指導

 文章は推敲に推敲を重ねた方がいいものになるはずです。ただ実際には短時間で書かなくてはならず、完成度よりは最低限必要な情報が誤解なく伝達できるかを問われることが多いものです。このようにブログを書き続ける私にとって、文章を書く時間は実は非常に限定されています。今日は休日で余裕がありますが、平日はほとんどが電車の中でつり革を持って立った状態で書いており、うかうかすると到着してしまいます。当たり前ですが、勤務中はブログは書かないのでこの場を逃すとあとは帰宅時になってしまいます。

 とにかく書くこと、そして形にすることにはそれなりの意味があると私は考えております。自分の考えたことをとにかく言語化しておくことは、次の何かを始めるための前提です。私にとっては拙文を積み重ねることが、自分であることを維持するために不可欠な作業だといっても構いません。

 授業でも短い時間に文章を書かせることをためらいなくやっていこうと考えています。生徒諸君に文章を書かせるのは実は結構大変なのです。文章を書くスピードにはかなりの個人差があり、授業内で完成させようとするとばらつきが出てしまう。取り掛かりの遅い生徒はなかなか書き出すことができず、何を書いていいのか分からないと言います。

 そこで私が実践しているのは次のことです。

 文章を書くにあたってまず結論を決める。結果的に何が言いたいのかを先にはっきりと意識させるのです。文章を書きながらどういう結論になるかを考えるという方法は、短い時間で文章を書くのには不適切です。生徒によっては結論を何にすればいいか分からないという、文章を書く以前の問題を持ち出す者もいます。本来文章は伝えたいことがあって書き出すものですが、授業の課題は教師に書けと言われて書く他動的な行為ですから仕方がない。そういう生徒には私から結論を指定してしまいます。あなたはこういう結論で今日は書いてみなさい。自分の本心と違うかもしれないが、文章を書く練習として今日はそう考えなさいと。

 次に文章構成の型を指定してしまいます。型といっても文学的な理論ではなく、実際使う言葉を指定してしまうのです。たとえば、第1段落は結論としたい意見を疑問形の分にする。つまり問題提起の型を作らせます。第2段落は「確かに~、しかし…」を必ず使わせ、自分の意見に反する意見と比較して、自分の考えが勝っていることを述べさせます。第3段落は「たとえば」を文頭に置かせ、自分の意見が正しいことを補強する具体例を書かせます。そして第4段落は「したがって」で始めて自分の意見を端的に言い切る、とこのように使う言葉まで指定すると、生徒はあとはパズルのように自分の考えにたどり着くまでの文章を書くことができるのです。

 このことはいろいろな方がすでに述べられていることであり、特に目新しいことではありません。まず結論をはっきりと意識させ、型にそって書くという誰もが思いつくような方法です。しかし、教育現場では作文指導はそれほど頻繁には行われていません。私は国語の授業でこれを繰り返し書かせることが大切だと思うのです。型の恩恵がいかに素晴らしいものであってもそれを使いこなす力がなければ効果は上がりません。文章上達の大前提は書く経験を積み上げることであり、それもある程度の緊張感をともなっていることが必要だと思うのです。

 生徒の格闘のあと、教員に残されるのは添削にかける膨大な時間ですが、これも私は割り切っています。内容に関するコメントは最低限にして、文章が破綻していないか、型が守られているかに絞って指導することにしています。それでも多くの時間がかかるのは仕方がないのですが、これこそが自分の仕事と自認しているのでそれほど苦にはしていません。

 作文を書かせる時間がないというのは一般的な国語教員の悩みですが、私は15~20分で600~800字程度の文章を書かせる練習を積み重ねたいと考えています。