はてなの毎日

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一斉授業の工夫で

 アクティブラーニング(AL)という言葉が独り歩きをしている気がしてなりません。新しい学力観のあいまいな提示が現場を一層混乱させています。

 これまでの教育方法は教師から生徒への一方向的な情報伝達であり、生徒にとっては教室は情報をとにかく受信するだけの場所になっているという批判は、ある意味的を射たものです。教える内容が多すぎるためどうしても教えることを板書(黒板に書くこと)をして、それを生徒に書き写させるという形態が主流になっていた。それは大学入試の在り方に対応する方法でもありました。

 受信的な教育の在り方がイノベーションを必要とする今日の日本の要求に合っていないとの批判からALが推奨されるようになると、今度はそのための情報通信技術(ICT)が必要だということになり、タブレット型コンピュータや電子黒板などの導入が問題とされます。確かにこういうものはあった方が便利はよさそうだし、事実効果が上がっているという実例も耳にします。

 しかし、大切なのは教えることの基本を崩さないことなのです。一方向だけの教え方が効果を発揮しないのは、生徒が主体的に学ぼうという意欲がないのに無理やり教えているからに過ぎません。口頭発表や、話し合いなどをしなくても学び方がアクティブであれば、つまり学ぼうという意欲が充足していれば十分に効果は出るはずなのです。いまの教育現場の大半は極論すれば何を学んでいいのか分からない生徒を相手に行われているわけですから、効果は上がらないのは当たり前だと思うのです。

 ALの方式も生徒に問題意識を持たせるための手段として考えるべきであり、それを行えば学習効果が上がるというのは一つ手続きを飛ばしています。生徒の問題意識さえ発生させることができれば、不慣れな新しい授業の在り方に挑戦したり、高価な教具を導入しなくても同等以上の効果は上がるはずなのです。

 それならばまずは一斉型授業の中で、生徒の問題意識を喚起する方策を研究する方が現実的な方法だということになります。現在、教員が使う指導書に示されている授業展開例の一時間目には必ずこれに関わる方法が示されています。ただ、長くても10分程度で生徒の関心が高まるという設定になっているのが大半であり、実態から乖離しています。私はこの問題意識を喚起する段階に時間をかけ、生徒自身に学ぼうとする意欲を持たせる工夫をするべきだと考えています。それからはあとは従来型の展開で構わない。関心を持った生徒が教員の説明を批判的に聴いてくれるようになれば大成功というものです。これを行うには教える教材の数は減ってしまうことになるがそれは仕方がない。少ない教材でも主体的に考えた時間が多ければ、その方がいいのではないでしょうか。

 この一年、ALを念頭に授業を行ってきたのですが、実態に合った方法でないと継続は難しい。そのためには一気に北欧型教育に転じるよりも今ある経験を生かして日本型ALを目指した方がよいのではないかと考えているのです。