はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

プログラム教育の手法

 新しい教育観のめざす具体的な教育活動の一つにプログラム教育があるといいます。これはコンピュータに自分の考える作業を効率的に行わせるための命令を書く手順を取得することを目的としているようです。コンピュータと会話するための言語を習得すると考えれば一種の「外国語」教育なのかもしれません。

 ただ、無感情なコンピュータを効率よく動かすためには、無駄のない手順が何よりも求められることになります。どうしたら最短距離で目標を達成できるのかを考える必要があるわけです。

 これを人間の言語に置き換えてみると一種の論理学のようなものになります。私たちはこれまでどちらかといえば敬遠しがちであった論理学の手法を国語教育にもっと取り入れることを求められているのかもしれません。

 もちろん、自然言語にはそれなり歴史なり習慣なりがあり、すべてを数学的に割り切ることはできません。また、仮に公理のようなものがあったとしても、実践の場でそれを振りかざしてもあまり意味はありません。私たちの思考法は多様であり、とらえどころがないからです。

 しかし、だからこそ思考の展開に一種の型があることに気づかせるのには意味があるし、それがさまざまなバリエーションの一つであることを知れば応用ができるようにもなります。国語を教えるときにプログラマーが使うような思考法を参考にすることはその意味で有意義ではないかと思うのです。