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はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

マニュアルの大小

 村田沙耶香『コンビニ人間』を読んでマニュアルとは何かということを考えなおしています。この小説の主人公は社会不適合の性格を持ち、周囲の「常識」を理解できません。細かいところで普通ならそうはしないということをしてしまいます。でも、能力的に何かが劣っているのではなく、社会のマニュアルには合わないだけなのです。

 同じ人物がコンビニエンスストアにおいては優秀なアルバイト社員になります。決められた目標にむかって無駄なく、予測的に行動し、他の社員との協力体制もできます。実に理想的な社員なのです。コンビニのあの機械的ともいえるマニュアルを血肉化しそのなかでいきいきと生きているのです。

 恋愛とか結婚とかもっと一般的な付き合いとかという場面になるとまるでできない主人公に対して、家族や周囲の人々は変人とみなし、病気であると分類します。どうしてその歳になってバイトをやるのだ、恋愛しないのだと。

 でも、こうした「常識」も考えてみれば日本なら日本の、その人が所属する共同体の決めたマニュアルだということもできます。文化や社会制度も実は人間が決めた約束事に過ぎないのではないかと思うのです。主人公は「異文化」を持つ人であり、それが果たして排除もしくは矯正されるべきなのかと悩み始めてしまいました。

 教育というのは社会性を育成するための行動の一つです。ある人物が社会に適合して生きていく能力を身につけさせることを目標にします。それはそれで良いのですが、その時、その適合させるべき「社会」とは何かについてもう一度考えなおさなくてはならないと考えました。ますます多様化する社会のあり方の中でこれは必要な作業なのかもしれません。

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