はてなの毎日

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自己卑下という段階

 日本の教育における内省の風潮は、しっかり生徒にも伝わっています。ただ、少々誇張されているようであたかも日本型教育が弊害であるかのように語る者さえいます。行き過ぎた自己卑下は様々な問題の源になると考えますが、私はそれもまたこの国らしい一面であると思います。

 確かに日本型教育への批判の多くは当たっています。特に答えなき課題に自主的に取り組むという能力への配慮は疎かになっていました。既定の目標にいかに近づくかという方面では素晴らしい能力を発揮するものの、新しい課題を発見し、解決するという分野は未開拓のままです。

 恐らく戦後の復興とそれに続く成長期においては日本型教育は素晴らしく効果的であったといえます。国民全体の学力と生活力を少しずつでも確実に上げることができたのですから。戦後の社会に不可欠な良質な市民を短期間で育成したのです。

 しかし、経済成長が鈍化し、円熟期を迎えたといわれる現代の我が国では平均的水準を上げるだけでは立ちゆかず、現状を打開するアイディアが求められるようになりました。

 そこで従前の自己卑下が現れます。いままでのやり方は間違っていたという考えです。明治に日本に訪れた外国人の知識人は当時の日本人が過去の歴史を全否定する風潮を訝しく思ったと言われています。新しい局面に入った時、過去の蓄積と容易に決別してしまうのは日本人の基礎的な思考形式です。さらに言えば、新しい考えに切り替えると言ってもそこにはしっかり和風が残されるのです。

 教育の改革についても同様の経過をとるのではないかと無根拠に考えています。アメリカ型、北欧型の教育そのものが我が国に根付くのではなく、しっかりと新日本型が生まれると楽観視しているのです。ただ、その過程には幾多の困難が待ち受けているかは分かりません。

 変化の予兆は飛び上がる前に腰を屈めている状態なのでしょう。