はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

当たり前が当たり前でなくなると

 わずかな段差が超えられなくなると私たちは世界が全く違ったものに見えてきます。少し前に足を痛めたとき、私は数段の階段を上ることすらできませんでした。その後は回復したので、その不自由さを見事に忘れてしまいました。ところが、家族にまた同様の障害が起きたことから、そのことを思い出したのです。

 いまやっていることのほとんどが当たり前にできることと思ってはならないのでしょう。老眼が進み始めている私は、細かい文字が読めないことがあります。すると今までは何気なくできていたことができない。細かい文字で書かれている注意書きは、今までは見逃してきたのですが、これからは何か大切なことが書かれているのに見過ごしているのではないかというちょっとした恐怖感を引き起こすものになってしまいました。

 おそらく、近い将来に出来するできごととしてパスワードを思い出せないという事態があるのでしょう。私はある法則を決めてすべてのパスワードを別のものにしているのですが、その法則が思い出せなくなった時、それがまったく分からなくなる可能性があります。指紋認証とか虹彩認識のようなものの必要性が待ったなしで必要になる年齢が来ることを予測しておかなくてはなりません。

 敬老の日は終わりましたが、自らが老齢ジュニアにあることを実感しつつ、また超高齢社会の日本の在り方を積極的に提言していかなくてはならないことを実感しているのです。