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基礎学問の価値が分からなくなると

 最近の教育の風潮に国際化社会の中で役に立たないものには意味がないなどと平気でいう人が多いということがあります。一見矛盾がないかのように思えるこの表現には様々な欺瞞があります。

 まず、国際化社会、グローバル社会などという言葉が多様な意味を持ち、それぞれが勝手に解釈を行っていることがあります。国際化社会といいながら、それがビジネス界での競争を指していることが多いのです。つまり、外国から金もうけするのに役立つ学問しかやる価値がないといえば彼らの意見にかなり近くなります。

 役に立つ立たないというのもかなり怪しい言葉だと思います。何が役立ち、何が役立たないかという判断は実はかなり難しい。昨今の物言いは即効性のあるものは良いが、そうでないものは認められないということなのでしょう。古典教育などはそれがまともに浴びせられるもので、漢文などやっても意味がないなどという大人の言葉を信じる生徒諸君が後を絶ちません。

 そんな彼らはビジネス書に現状打開策として孔孟の教えを頼りに起業した人の話(結構ある)を読むこともあるはずなのですが、それが古典教育に淵源をもつことを忘れています。すぐに役立ちそうなものばかりに目が行き、一見無駄のようでいて実は思考の基底にあるものがなんであるのかを見失っているのです。

 役に立つものを学ぶのではなく、学ぶことによって何かの役に立てる下地にするという考え方を持たなければ将来の我が国はかなり危ういものになります。基礎的な学問の意味が分からなくなると、その上にあるすべての学問や技術が揺らぎだすということを認識しなくてはなりません。