次の社会
民主主義という制度に限界がきているという意見があります。自己利益のために社会を動かそうとする考え方に問題が生じているからです。
とはいえ、自己の幸福のために人は動くものであり、それ以外を目的とすることは難しい。というより無理があります。他人のために貢献することが大切だとされますが、これも奉仕という行動から得られる自己実現の感覚が動機になっていることは確かです。
すると次の社会はいかにあるべきなのか。それに対応する人々の意識革命はあるのか。そんなことを考えたくなります。
民主主義という考えが生まれた時、人々には個人という概念も生まれています。私たちはムラの一員であるとともに、私一人でも成り立つ人間であると理解しました。
次の社会はあるいはこの逆の過程をとるのかもしれません。個々の人権は意識しながらも共同体の全体像を考えて行動する人が圧倒的に増える。それも地球全体のバランスを意識して行動する人です。
このような意識革命が起きるにはまだいくつもの葛藤があるでしょう。ただ、そうならざるを得ない状況が来て一挙に変わっていく。そんな気がします。
次の社会がどうなるのか。恐らく私の寿命ではその結果はわかりません。ただ、考えてみたいのです。