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いじめと国語

 国語力が足りないといじめの加害者になりやすいとの発言をある教育評論家が述べたことが話題になっています。自身が追加説明しているようにここでいう国語とは自分の意見や考えを表現することや、他人の立場を察する能力の不足を言うようです。残念ながら受験国語にどっぷりつかった世代にはこの発言は支持を得られていないようです。国語の点数が高い「いやなやつ」はいくらでも思い浮かぶからでしょう。点数化できる国語の得点を国語力というなら、やはりいじめとは無関係です。

 それはいわゆる国語の試験が論理的な思考力を中心に問う傾向があるからです。因果関係や比較照合などの論理構造を追うのに他人を思いやる力は無関係であり、むしろ自分本位で論理展開に注目できる生徒の方が得点しやすい。他人を思いやり、調和、協調をもたらす能力とは別物です。小説の読解さえも論理的な構造の中でしか問うことができないのが従来の国語の試験なのです。国語の試験で高得点をとる力が国語力だとしたら、いじめの資質との相関はあまりないとも言えます。

 私の経験上、逆に国語のテストだけが飛びぬけてできる生徒は問題を起こしやすい傾向があるとも言えます。これも経験則にすぎず、はっきりとした因果関係を示せませんが、国語の得点が高ければ優しく思いやりのある人間になるとは言えません。国語力とは国語の点数を取る力ではないことは確かなようです。