はてなの毎日

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計算できないもの

 AIの発達によって多くの仕事が自動化され、従来の仕事が奪われるという観測は日増しに現実感を増しています。教員はむしろ仕事の多くの「雑用」が機械に代替することを歓迎していますが、中には本業である教室での仕事も奪われていくのではという漠然とした不安もあることは事実です。

 私は生徒の席替えを頻繁に行っています。それまでは生徒にくじ引きをさせ、その結果を表に書き取り、ワードやエクセルなどで文書化するという地味ながら結構時間がかかる作業をしていましたが、いまはエクセルの乱数の関数を活用して席替えから表の印刷までを数分で終わらせています。パソコンに詳しい教員に教えてもらったことをさらに改良し、視力などによる座席位置の配置や、近づけたくない生徒の配慮などを「機械的」にできるようになりました。これは教員の仕事を軽減してくれたことです。もし、席替えでお困りの同業の方がいたらこの方法をお勧めします。

 席替え表の作成はAIではありませんが、基本的には同じことなのだそうです。AIができるのは計算です。四則計算などと統計がAIが得意なことであり、人間が何時間もかかってやることを瞬時に終えてしまいます。繰り返し同じことをやる場合や、やるべき処置がパターン化できる場合は機械に任せた方が効率的ということになります。席替え表における座席位置の並べ替えと、並べ替えた位置に生徒の名前を配置し印刷するということは完全に型にはめることができる作業なので、計算が得意な機械があっという間にこなしてしまうのです。こうした作業をいくつも複合するとあたかも知能があるかのような作業ができてしまうように見えるのです。

 教室で教えることもパターン化できればAIに代替されます。AIではありませんが最近スタディサプリというサービスがCMなどでも宣伝されています。これは学びたい教科と自分の習熟度などを選ぶと、授業の達人たち(塾の先生などが多い)が画面上に現れて授業をしてくれるのです。PCやスマートフォンでも見ることができます。私のへたくそな授業よりもはるかに洗練された授業を生徒は自分の意志で選択して受講できます。すでにそのような形態で展開している学習塾もありますが、家庭でもこれができるとなると塾の経営方法も変えていく必要がありそうです。

 もう学校はいらなくなるのではないかという意見も出てきそうです。効率化された授業をスマートフォンで受講できるのです。何も満員の電車に乗って学校へ行き、けがをしたりいじめられたりするリスクを負うことなく、自宅で学習ができるのですから。教員だっていらなくなる。効率的な授業の方法が型として確立すれば後はAIがその生徒にあった授業を選択し、その生徒にあった性別、風貌、性格の教員をVRで作成して授業をすればいいのですから。

 SFのような現実はあるいは意外と早く実現するかもしれません。ただこの考え方にはいろいろな飛躍があります。まずは一人で人間ではないなにかに向かって学習する意欲がどこからわくのかということです。学習は自発的な行動であるとは言いながら、周囲の人と切磋琢磨することが継続動機になることは否めない事実です。

 次に、これが決定的だと思うのですが、AIが選択する効率的な学習方法というのはあくまでも統計上のデータであり、個々人の細部までには至らないということです。占いの世界では人は何通りかに分類されることがありますが、実際はそんなに単純ではありません。占いの世界では許されても、教育においてあなたはAの21の92型にあたる人間なのでこれがお勧めなどと言われても不快感しか残りません。むしろ詐欺に近いものです。

 教員が今後の社会で健全に職業を全うするには計算が不可能なものに対する格闘を忘れないことにあるということになります。生徒を型に分類して安心するのではなく、また理想的な教科の教授法を一つに決めつけるのではなく、常にライブ的な感覚を持ち、毎日反省しよりよいものを築くことに悪戦苦闘するしかありません。そのためにならばいくら時間を使ってもいいと思います。機械にさせることと自分にしかできないことを意識的に使い分けていくことが大切なのでしょう。