はてなの毎日

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答えるのは登場人物の心情ではなく

 国語の問題にはしばしば登場人物の心情を問うものがあります。間違えてはならないのは聞かれているのは登場人物の本心でも、作者が登場人物に託した心情でもないことです。人の気持ちなんて分かるはずがないという素朴な疑問は正しい。それを聞いているのではありません。

 目には見えない心情は言葉や行動となって初めて感知できるものになります。作品中には心情を表現するための様々な表現がおかれる訳です。国語の問題づくりはそうした表現を集めるところから始めます。大抵は作品の一部分を切り出すことになりますので、その中で整合性のあるものに絞っていきます。

 作られた問題は結局、出題者が登場人物の心情を説明する際に根拠としたものを探すという形にならざるを得ない。書いてあることを根拠にして解答することが求められるのはそのせいです。

 原作者がこんな気持ちではないと異議を唱えても国語の問題としては揺るがない可能性が高い。切り取られた場面の中で使われている表現しか使えないとすると、どうしても作品全体の世界観とはずれが生じることになるはずだからです。

 国語の問題は既成のテキストを使いながらも、結局は読者の一人である出題者の読みを追体験することが求められていると言えるのです。