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価値観は時の支配を

 何が大切なのか、何が価値があるのかという問題については絶対的な基準はありません。そしてその秤は時代によって変わってしまう。大切だ貴重だと思うものは時代によって変わります。だから、周囲の声に左右されることなく自分の価値観を大切にすることが大切だと考えます。

 詩を書いたり、創作的な文章を読んだりすることはある時代においては何よりも優先して大切なことでした。それが有閑階級の余技のように考えられたことも、実用性のない優先順位の低いものと考えられたこともあります。最近の文学はどうも価値を低くみられているようで、詩歌をつくる人も小説を読む人も少なくなってしまいました。しかし、だからと言って現代には創作行為や文学作品を鑑賞することに価値がなくなったわけではありません。社会的な風潮でそのように感じられるだけです。価値観は時の支配を受けてしまうのです。

 学校で文学作品を扱わなくなる事態が来ることが危惧されています。指導要領と入試改革の影響で授業で文学を扱うことが避けられることになる事態が発生しそうだからです。果たして現在の文学作品の授業が理想通りに行われているのかについては疑問があります。文章に傍線を引き、一つの解答を求めようとする設問では文学の深い読みはできません。

 でも、評価された作品を読む共通の読書体験は教科書教育のよさの一つです。ある作品の読書体験を共有していることで生み出される何かがあるのです。また、解答を急がず表現の奥にあるメッセージを個々が読み取り、それを確認し合うという時間は国語でしかできない貴重な体験であることは確かです。〇か×かの世界ではできないなにかを文学作品の読みを通して簡単に行うことができるのです。

 時代の価値観に即応することも大切かもしれませんが、もっと奥底にある人間に必要な能力を引き出すことはそれに勝ります。国語教育がその役割を見失わないようにせめて現場の教師は考えておく必要があります。