はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

型通り

 型通りという言葉はいい意味で使われないことがしばしばあります。ワンパターンとなるとかなり批判的になります。でもはたして型を守ることはいかがなものなのでしょうか。

 空手に型という競技があります。決められた動きの中でいかに強さを表現できるのかを競うものです。もともとこれは競い合うためのものではなく、あくまでも自己鍛錬の手段として行われていたもののようです。また、これがダンスではないのは戦闘を前提として設計されており、生き残るための技の凝縮したものだということです。

 型が生まれる背景には何らかの益となるよう先人が練り上げたという歴史があります。だから型通りに行うことは決して恥ずかしいことではありません。

 

成人の日

 晴れ着を着た新成人に何名か出会いました。年々思うのですが、その人たちが幼く可愛らしく見えてしまうのです。おそらく、自分もそうであったはずなのに。大人の世界は厳しいけれどそれをいかに生きるのかは諸君にかかっていいるのです。なんて言いたくなりながら街を歩いてきました。

あまりもの

 家を掃除していると使いかけのものとか、かつては熱中していたのに途中から関心がなくなったものなどがいろいろと発見されます。自分の飽きっぽさにはつくづくあきれるばかりです。しかし、この旬が過ぎたものを集めてみるとまた何かできるのではないかとという気持ちになります。

 私が考えているのは小物の話だけではありません。世間に対する関心だとか、やり方だとかそういうものも過去を振り返ればいろいろとあります。その多くはある事情で衰退して停滞し、忘れ去られたものなのです。でも新たな視点とその当時では実現不可能であったことを現在の技術で復活させれば新しいものとして復活再生できるかもしれない。というより全く新しいものとして生まれかわることがあるのかもしれないと幻想しているのです。

 そういうアイディアを思いつくためには過去の遺産を再検討することが必要です。ガラクタを集めている自分の愚かさを賢さに変えようと企てているのです。

可能性

 人の可能性など簡単に測ることはできません。なのに人を選ばなくてはならない局面は必ずあります。試験をしたり、面接をしたりして選ぶための材料を私たちは探そうとします。でも結局最後は選びきれない。

 人選がうまい人といわれる人がいるのは確かです。その人が見る目があると評価されることもあります。ただ多くの場合、成功例と同等以上の失敗例ももっているものなのです。

 人選の難しさはどんな時代も変わらない。いい人を選ぶよりも大切なのは自分たちの仲間にいかにひきこむかなのでしょう。

半影月食

 今日は満月です。いま見上げると雲一つない空に輝いています。この満月がこの後、深夜に地球の半影に隠れるのだそうです。見た目で月の形が変化するものではありませんが、輝きが薄らぎ時には色合いも変わるのだとか。月食は日食に比べると出現頻度が高く、すでに何度も見ていますが、やはり予告されると気持ちに昂るものがあります。

 小学生のころ皆既月食を始めてみたときはノートに食分の様を記録しながら見ました。いちいち感動して声を出していたのです。年齢を重ねてそういう感動はかなりひねくれたものになってしまいました。いちいち天文学の理論に翻訳しながら風景を眺めているのです。もっと根源的な驚きを素直に表現する機会が必要なのではないかと最近は考えています。

 今日の半影月食もおそらく深夜になるとどうでもよくなってしまうのかもしれません。私は自然に対して直面することができなくなっているのです。このことで失ったものはとても多いということを考えなくてはなりません。

衆人環視

 スマートフォンの位置情報をオンに設定しているのですがためらいも感じています。私の行動は筒抜けなのです。

 位置情報を設定しているとその場にあった情報を自動的に送ってくれます。近くの評判のいいレストランを勧めてくれますし、そこまでの道順や所要時間も表示します。メニューのあるサイトや利用経験者のレビューなども見られるので便利です。

 一方で自分がある店に立ち寄るとその後感想を尋ねてきますので少々気味が悪い。なぜそんなことまで知っているのかと考えてしまいます。単にGPS衛星からの信号をやり取りしたのに過ぎないのですが、情緒的には監視されているような気になります。

 自分の行動記録をみられるのはパスワードで守られた自分だけだと思いたいのですが、実はそんな保証は何もありません。場合によっては衆人環視のもとにあるのかもしれないのです。位置の設定を遮断してもデジタルデバイスを持参している限り実は追求される可能性がある。私たちは常に忘れてはならない心がけなのです。

 それなのにいまも私はスマホを持ち歩き、様々な情報を受け取るのと同じくらい自己の情報を曝している。少し前には考えられなかった行動をしている自分が不思議です。

やってみることから始めます

 大切なのはとにかくやってみることなのかもしれません。最近はそういう考え方になってきました。

 いつかやろうとか段取りを決めた上での実行という考えではなかなか実行に移せない。準備不足でもとにかく手をつけてみるというやり方が今の自分には必要なのです。走りながら作ればいい。無様なものになってもやらないよりはましだ。やらなかったことを悔やむより、失敗した方がまだいいということなのです。

 ポジティブなのかやけくそなのか。区別は付きにくいのですが、とにかくやるしかない。内田樹さんの論考ではないですが、そういうときこそ力が出るもののようです。