はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

疑心暗鬼

 外出自粛が続いた中で人々の気持ちが乱れているといいます。それは他者への思いやりという美徳が揺らいでいるのではないかという不安です。

 ソーシャルディスタンスはあくまで感染予防のためのフィジカルな距離のことです。ところが私たちは物理的な距離と心理的な距離を別にできるほど進化していないようです。自分とは異なる存在に対してその違いを容認する寛容さは、文明人の身につけてきた後天的な能力なのでしょう。これは常に意識していないとすぐに忘れてしまうようです。今回のような隔離を続けているとしだいに他者のことが分からなくなるらしい。

 ちょっとしたことで腹が立ったり、自分と同じことをしていない人が許せなかったりするのはどうしてなのでしょうか。マスクをしていない人に露骨に非難の表情を見せる人やなかには直接文句を言う人もいます。つい最近まで専門家がマスクには予防効果はないと説明していたことを忘れてしまったようです。

 他人の行動に対する疑心暗鬼はこういう生活を続けていればますます助長されるはずです。もともと高い同調圧力がますます高まっていけばウイルス感染とは無関係に息苦しくなっていくことを忘れてはならないのです。

見方を変えれば

 一つのものを見方を変えれば別のもののように感じられるということはよく実感することです。

 恐らくいまの状況は現実の見直しの時間を与えられているのだと考えたいです。いまの状況をいかに有意義なものにするのかは個々の考え方に任されています。そこで何をするのかは自由ですし、何もしないことも可能です。自分にどれだけ投資できるのかもいまの時期には大切なものです。負債ではなく投資をという考えは金銭ではなく知識や教養に求めるべきなのでしょう。

 いまの時間を無駄に過ごさないことは実はとても大事なことなのです。

緊張感

 家で5時間くらいかけてやった仕事を職場でやってみたら2時間もかからなかった。そんな経験をしています。使っている機器の差やWi-Fiの差もあるのですがもっと大きいのは場の力です。

 仕事をするための空間が職場というものです。私たちはそのために物理的にも精神的にも空間の意味を形成してきています。その場がもたらす力を逆に利用してこそ仕事はできるのです。仕事はどこででもできるとか、周りに引きずられているようではだめだとか、いろいろなことをいう人もいますが、個人差はあります。私の場合はやはり空間の力を活用しなければ効率的な仕事はできません。

 職場以外の空間も大事です。緊張感が不要な空間を家庭なり、気に入りの場所に持つことは大切だと感じています。家庭を職場にすることでこれも失われてしまう。私はこの区別をするための方法をまだ獲得できていません。

時間の往還ができたら

 難しいことではなく今いる場所の過去の風景が実感できたならどんなだろうかと考えることがあります。所詮かなわない夢なのですが、考えてみると不思議な気持ちになります。

 今いる場所がビルの何階かであったとしても、数十年前は何もない原っぱだったりします。すると原っぱの上空で私は何をしているんだろうなどと考えます。時間と空間はそれぞれが連動していてしかも不可逆なのですが、仮にどちらかの軸を自由に動かせるとしたらどうなるでしょうか。場所の移動は比較的自由にできます。その場所に歩いていけばいい。もちろん上空や地下、海底などどうしてもいけない場所もありますが、何とかしようとすればできないこともない。対して時間の方は進めることも巻き戻すこともできない。私たちはこの軸だけは操れません。

 だからこそ、もし時間軸を自由に移動できたらどうなるだろうかという妄想が楽しくなるのです。

誰かのために

 誰かのためになることをしようと考えることがいまの自分の基本的なモチベーションになっています。これは意外にも深い問題です。

 人のためになるといっても見返りを求めては独りよがりになりがちです。自らの仕事を評価しない人を難じるようになっては結局それは評価を得たいという自分のための行動ということになってしまう。

 自分のやったことが何らかの形ので他者を幸福にできたならばそれでいいという考え方をいまこそ思い起こすべきなのです。

 

高温傾向

 このところ急に高温の日が続くようになりました。病み上がりの身としては辛い毎日です。

 部屋にはまだコートが吊ってあり、つい最近までお世話になっていたのに。急激な変化に驚くばかりです。

振出しに戻る

 検査結果は陰性でありひとまず最悪の事態は脱しました。精神的に楽になったせいか、薬が効いてきているせいなのかリンパの腫れが気になりますがひとまず回復ということになりました。

 ということはまだ抗体は獲得できていないということでもあり警戒のレベルとしては振出しに戻ったことになります。今回は医療関係者や事務連絡をしてくださった保健所の方のご支援に感謝するばかりです。報恩のためにも何らかの形で社会貢献をせねばならないと考えるようになりました。