はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

未完成の理想

 日本人の好みは完成されたものより未完成なものにあるようです。美意識を表す「うつくしい」は本来可愛らしさを表す「うつくし」から変化したものであり、完成された美意識である「うるはし」は必ずしも最高の評価を勝ち得なかったのがそれを象徴します。自分からはまったく手が届かない存在としての美よりは、自分の理想の延長上にあり、すぐに手が届きそうなものに美を感じるのかもしれません。つまり日本人にとって美とは、日常からの隔絶ではなく、延長であるということです。

 我々が求めるのは、異次元の完成品というよりは生活の延長にあるものではないでしょうか。日本の伝統的な美術作品に、そのまま実用品として使用できる工芸品が多く含まれているのも、美が生活の延長にあることと大いに関係があるのではないかと考えるのです。

 高級な美術だけではありません。理想的な人物像も同じことが言えます。たとえば、海外のアイドルと日本のアイドルとの違いもその例です。抜群のルックスと歌唱力、ダンス、あるいは体力、特殊能力などのうちのいくつかを備えているのが海外のアイドルのあり方ですが、日本のアイドルはどちらかといえば街をよく探せばいるかもしれない容貌と、少々厳しいレッスンをつめば後天的にでも身につきそうな技能をもってさえいればいい気がします。場合によってはどれもが上級でない場合さえある。むしろ、自分の才能を誇示せず、小出しに発揮する奥ゆかしさを備えている方が支持を受けるのです。

 私たちが理想的と考えるのはどうも未完成の要素がたぶんに残り、今後の変化、成長、発展の余地を感じるものではないでしょうか。「かわいい」が日本的価値観の象徴的なことばであるのはこの意味で理解できます。