2013-07-24 善意の創出 日記・コラム・つぶやき 性善説をとろうととるまいと、人にはいわば本能的に利他的な側面があると思います。それは集団で生活する私たちの血肉と言うべき何かではないでしょうか。 ただ、多くの場合、その行動は封印されます。私たちは個の存在を意識しすぎてしまいました。他人への関わりは干渉とみなされます。ぎこちない距離感が一層個人をばらばらにしてしまいました。 善意が発揮されるためには、それを許す環境がいります。このことを真摯に考える必要があると思います。