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海女をめぐって

 韓国が済州島の「海女文化」をユネスコの世界文化遺産に登録されるための手続きを、政府主体で進めることを発表したとのことです。韓国語では해녀(ヘニョ)と発音されるそうですが、女性が素潜りで海底の海産物を捕るという点においては日本の海女と共通しています。どうも、韓国政府はその起源を自国のものとして世界に認めさせたい、というよりは日本のドラマによる海女ブームと、先の和食とキムジャンの文化遺産登録とが刺激になり、해녀を国際語にしたいという動きになったのだと思います。これに対して全国紙をはじめとして多くのメディアが海女文化が韓国に奪われるといった論調、もしくはそのように読者が考えるような記事を発表しました。

 韓国の해녀と日本のアマのどちらが古くから存在するのか。そういう議論に持ち込む人もいます。魏志倭人伝にはすでにアマと思われる漁法が書かれていたり、万葉集にはいくつかの潜水漁法の表現があります。だから、日本のほうが古いという論もありますが、それはあくまで文献史学的な考え方に過ぎません。そもそもいま生きている文化の価値を決めるのに、起源の古さを物差しにすること自体に疑問が湧きます。

 文化遺産選定は本家争いの認定という意味ではないはずです。日本では各地に海女の漁法を伝えている地域がありますが、いずれも後継者不足で廃絶の可能性があります。今年のドラマブームによってしばらくは息を吹き返し、観光資源ともなっていますが、それもいつまで続くか分かりません。それは韓国の済州島でも同じ状況だと聞きます。当事者たちはその継承に必死であるのに、部外者がいまになって本家争いをし、それも本当に海女やその周辺の生業について考えるのではなく、単なる面子争いのようになってしまっているのは残念です。

 女性たちが自分とその家族のために、酸素ボンベなどをつけず、生命の危険を犯して海底に潜ること。人力にたよる素朴な漁法のため、獲物を根こそぎ取り尽すことなく生態系が守られてきたこと。漁村における女性の地位を確保する社会的な役割があったことなどを評価するべきなのです。

 もし、そうした文化を保存継承するのにユネスコの認定が必要であるとしたならば、それは国籍に関係なく行なわれるべきであり、偏狭なナショナリズムに左右されるべきものではないでしょう。