はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

余裕のなさが生み出すもの

 子供のいじめの問題についてよく言われるのは、いじめる子供の方にもなんらかの困難があり、それが他者への攻撃という形で現れるということです。もちろんこの問題は想像以上に複雑であり、一概に言えるものではありません。個人の心身の問題と、社会的環境的要因とが複雑に絡みつくからです。

 最近、我が国のごく一部でみられる差別主義的な言動は、これとほぼ同じ構造でできているように思います。街頭で非常識な差別語を大音響で叫ぶ人々は、個人の身体的特性もあるでしょうが、それより可能性が高いのは、自分自身の日本の中での不適合不調和の形を変えた告白だと思います。その意味では社会の生み出したものなのかもしれません。つまり、特殊な不心得者の暴挙であるから排除すべきであるといった考えではこの問題は解決しないのです。

 書店に並ぶ、一部の国に対する嫌悪感をあからさまにする一連の書籍も同様に考えなくてはなりません。あれだけの本が平積みされるのは、それを買う人が一定数いるからです。隣国に対して過剰な嫌悪感を露わにするのは実はその国に対する注目の裏返しです。そして、その原動力は自分が日本国内において満たされていないのは彼の国が原因ではないかという被害意識です。

  いわゆる反日運動に対して、不快に思うことは当然ですが、それに対して「反」反日の行動をとることは結局、相手と対等であり同等のレベルに降りていっていることを意味するのです。反日運動をしなければならない彼国の事情を思慮する余裕がなくなっているといえるのかも知れません。

 日本はアジアの平和を先導する国家としての自負をこれまでは何とか保ってきたと思います。ところが、さまざまな面において余裕がなくなってきたため、大局をみることが難しい状況になっているのかもしれません。その意味で日本人は誇りを取り戻すべきであり、隣国非難の愚よりも哀れみと友好の智を拡げるべき時にきている気がします。