はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

長崎忌

 もう何度も書いたり話したりしていることなのですが、70年前私の父は北九州市の八幡の近くに住んでいました。製鉄所のある町は戦争遂行上の拠点であり、数多くの兵器がここで造られていたようです。当然連合軍からの攻撃目標にもなる地点でしたが、幾つかの空襲で多数の死者を出しながらも、東京大空襲のような大きな被害は出ていなかったようです。

 それでも、記録によると1944年8月8日には焼夷弾攻撃によって現在の北九州市の地域の住民の約2900名が犠牲になっています。そして、その翌日、テニアン島から飛び立ったB-29は北九州の小倉を目指したのです。9時44分頃、目標上空に到達。ところが視界が悪く計画を変更。視界を遮っていたのは雲か霞だとも、前日の空襲の影響で起きた残煙だとも、あるいは新型爆弾飛来を察した現地の人がわざと煙の出るものを燃やして煙幕をはったのだとも言われています。

 攻撃目標を目視できないという理由で、対象を第二目標の長崎に変更したB-29は、雲の隙間から長崎の町にプルトニウム爆弾を投下したのです。11時2分であったといいます。死者約7万4千人。山に囲まれた長崎の地形のために威力は軽減されたらしく、もし小倉に投下されていれば広島を超える被害が出るのは必至だったと言われています。

 私の父が原爆の犠牲にならなかったのは極めて偶然のことであったということになります。長崎にはもう何度も訪れておりそのたびに犠牲になった方々に黙祷を捧げてきました。私には戦争の実感は何もありませんが、この長崎忌だけは特別な感慨を抱かざるをえません。