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アクティブ・ラーニングのために

 いま教育の現場では、アクティブ・ラーニングと称する学び合いの場をどうやって創出するかということが注目されています。教師が一方的に情報を伝達するのではなく、生徒同士が話し合いの中で答えを解決する筋道を見つける過程を重視する方法です。この方法では既成の答えを丸暗記するのではなく、答えの出し方を模索する方に重点が置かれることになります。詰め込み型の一斉教育に対する反省として生まれた教育論ですが、その理想とはうらはらに実践は容易ではありません。

 教師はこれまで短期間に学習の成果が向上することを目標にしてきました。具体的には教えたあと数日から数週間後に行われる試験で高得点を獲得させることであり、その積み重ねによって数年後の上級学校への入学試験で合格させることです。またそれが出来る教師が優秀と評価されているのが現状です。

 でも、これには実は様々な思い違いがあります。教師側からすれば合格実績が増えることによって、生徒を賢くした、よいことをしたと思い込みます。教員を評価する保護者や、教員を雇用する学校側も数字で現れる実績によって教師の力量を判断するのです。その結果起きていることはといえば、生徒の学習に対する成果主義というべき弊害でしょう。点数さえ取れればいい、合格さえすればいい、勉強はそれほど好きではないし、学ぶ目的もはっきりしないがとにかく勉強すれば褒められる。そういう考え方が蔓延します。彼らは学習の意味に対する理解が欠けることが多く、学問を軽視する傾向があります。進学先で学ぶことの真の意義に巡りあってほしいと願うばかりです。

 学びの意味を教える(気づかせる)ためにはアクティブ・ラーニングは一定の効果があると思います。答えの出し方を試行錯誤することは、考えることそのものを実感することができるからです。ただ、これにはとても時間がかかる。個人差も大きくなります。例えば、ある問題の解決策を考えさせるとしても、授業時間内で一定の段階までたどり着けるかどうかわからないのです。

 すっかりせっかちになってしまった教育の成果主義に真っ向から対決しない限り真のアクティブ・ラーニングなど出来るはずはありません。じっくり時間をかけて考えさせる忍耐力を教師・生徒そして社会が持たなくてはならないと思うのです。一方で基礎的な知識に関してはしっかり教えこまなくてはならない。国語でいえば漢字や語彙量の知識を増やし、読書量を拡大するといったことは「詰め込み式」が欠かせないのです。こうしたことのバランスが難しい。

 いまの教員は理論先行の教育改革案に振り回され、必死に対応しようとしているのです。