はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

自分で考えたように思い込ませる

 授業の進め方についての模索は止むことがありません。そこにはさまざまな手法がありますが、最終的な目標は自他の意見を総合して各自の意見をどれだけ的確に言えたり、書いたりする力を身に着けさせるのか、その能力を刺激することにあるといえます。生徒同士の話し合いによる問題発見と解決を目指す近年の学力に対する価値観の見直しは、そういう意味において生まれてきたものといえます。

 しかし、ない知恵は絞れないし、やり方を知らない話し合いはできない。最近の授業実践からそのことを痛感しています。話し合いを意味のあるものにするためには、前提として問題意識を持たせ、考えてみたいという気を起させる必要があります。また、どのようにすれば解決ができるのについて話し合いの手順や方法を教えておくことが必要です。そして何よりも話し合いの中身についての各自の事前学習が欠かせません。そういう面倒な手続きを踏まえてこそ話し合いに意味が出てくるのです。

 短い授業時間の中で一定の成果を上げ、それが評価できるまでのかたちにするのは至難の業です。現実的なことを言えば、生徒の自主的な取り組みだけから、素晴らしい話し合いがすべての教室のすべての班で行われるのを期待するのは無理というものです。教員にとって必要なのは、話し合いを通してなるべく多くの生徒に、新しい知見を得たという実感を残させることです。そのためには様々な誘導が必要で、中には大きなヒントを紛れ込ませる必要があります。大切なのはそれをさりげなく行い、生徒が自分で考えたように思い込ませることなのでしょう。

 授業は、すると、問題解決までの道筋を体験させる一種のショーのようなものといえるのかもしれません。生徒に考えることはこういうことだというモデルを示し、それを体験させる参加型のショーなのです。実は大切なことは教員の誘導で進んでいることをなるべく悟られないように授業をすすめること、この力こそがこれからの授業では特に求められる教員の力になるに違いありません。