はてなの毎日

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語れる歴史

 ヨーロッパのキリスト教と科学の歴史を中学生に簡単に話すことを考えています。歴史の教員ではないので細部へのこだわりはありません。ただ、宗教的権威と実証的科学の違いとその変遷や影響関係を分かりやすく説明できればいいのです。
 指導案をノートにまとめようとするとこれが結構厄介であることが分かります。何百年もの歴史を数十分で説明すること自体が無理な話なのですが、今回は考え方の枠組みだけを示せればそれでいいのです。でもそれが難しい。この事件の説明は落とせない、この人物の事績は、とどんどん細部に入り込んでしまう。
 何かを理解する時、私たちは基本的な思考の枠組みとその中での考え方の手順を獲得しようとします。ところが、それが初めてのものであったり、なじみがないものであったりした時、方法に戸惑い混乱します。生徒にはその枠組みなり手順の最初の一歩だけを示せばいい。
 私にとって歴史をごく簡単に説明するということが難しいのです。事件を年代別に並べたり、その因果関係を話したりすることについてはそれなりに勉強してきました。しかし、結局のところその歴史はどういうものなのかを分かりやすく、できれば術語をなるべく使わずに説明することが私のような国語教師にはしばしば求められます。
 これまでは書かれている文章の読解を中心に教えてきました。これは止まっているものを分析するようなものでした。いま求められているのは、生徒に知識を得るきっかけを短時間で教え、その先は生徒個人に考えさせるという動きのある知識の営みです。これからの教授法にとって欠かせない教師側のスキルが存在することを痛感しているのです。
 大切なのは細部にこだわらず、考え方の方向性のみを示すこと。すべてを教えずに、その先を切りたいと思わせること。このさじ加減こそが肝要なのかもしれません。