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国語力コーチ

 これからの国語教育の理想としては国語という単独科目の範疇にとどまるべきではないと思っています。時間割上の国語は週に4~5回程度の授業で教科書を読んだり、作文を書いたりといった授業を行っています。最近の傾向として、それに話し合いや発表という要素が加わったとしても結局は数ある授業の中の一つという位置づけです。

 しかし、国語力、とりわけ母語としての言語能力は実は広汎な思考力の基礎となるものであって、決して一科目だけの問題ではありません。思考は行動に直結しますので、国語力の向上はその人物の人生の基盤を固めるために不可欠なのです。

 このようなことはおそらく大半の方が知っています。例えば数学の教師の中には成績不振の原因を計算力だけではなく、言語活動における論理的な思考力の欠如を上げる人がいます。つまり、たとえ数字を扱うにしても言葉の力はその背後で働いているのです。

 一見言葉はいらないと言われる体育でも同様の指摘があります。いわゆる言語とは多少意味合いが異なるにしても、そこにコミュニケーション能力が必要なのは変わりありません。目と目で通じ合うとか、身体の動きで察するとかいうのも実はそれを言葉に変換し、さらにそれを関連付ける行動を言語で行っているのが実際でしょう。一流選手に多彩な言語活動があるのはいろいろな例からわかります。

 となると、国語力の向上にもっと力を入れるべきではないかと思うのです。すると例えば中等教育の間に、国語力のコーチ―もしくはサポーターのようなものを設けるというプランが浮かんできます。これは教科の国語とは別の扱いで言葉に関する指導や助言を専門に行うというものです。当面は国語の教員が担当するとして、そのあとはより専門的な知識を持った人材を配するのが理想です。指導内容はあくまで論理的な指導や話し方や作文の指導を中心足したもので、場合によってはボディランゲージも含む、全般的なコミュニケーションを扱うものです。そして、決められた期間内の成果を評価する「教科」の扱いではなく、生徒の学力の裏付けとなる相談役として機能するといいと思うのですが。

 国語の授業内でできることにやや限界を感じている昨今、国語が実はもっと大切な教科であると考えているうちに妄想が浮かんだ次第です。もう少し整理して考え直してみたいと思います。