お変わりなく
久しぶりに会った方からかけられる言葉にお変わりなくと言うのがあります。社交辞令として使われる言葉ですが、最近はこれを憐憫と感じるようになってきました。
もちろん、細胞単位の話で言えば全く変わり果てているのですが、そうではなく、世間一般の用例において最近の私の変わり方は速度を速めている気がします。緩やかな下り坂が始まりました。
悲観している訳ではないのです。年相応の生き方なり、やるべきことなり、やりたいことなり、いくらでも自分の居場所はあると思っています。むしろそれが楽しみでもあります。
ただ、お変わりなくではなく、毎日変わっている自分を認めてほしいという子どものような思いになっているのかも知れません。