忖度
国会での証言で使われたという「忖度」という言葉はいかにも日本語らしい表現であり、心理的あるいは行動的な国民性を表しているように感じます。
ある意味、日本の文化は忖度によって成り立っているともいえます。例えば敬語のシステムを考えてみれば分かります。相対的な使い方をする敬語の基準は他者との関係性にあります。会話の聞き手や、文章の読者の立場を思いやり、そこから使う敬語の種類を決めていきます。
伝統文化の多くは自己完結せず、相手を意識して構成されるものです。相手からどのように見えるかが行動の基準になっているといえます。
相手を思いやり、相手の視線に同化して行動することを目指す文化は、心のこもったもてなしの精神にもつながります。これは我が国の優れた特性として考えられています。
今回の忖度に関する議論は、その特性の負の局面をクローズアップしてしまいました。その意味で残念です。忖度のできない人が増えることは日本文化の存続にも関わる重大事であることも語られなくてはなりません。