はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

小学校から英語学習もいいけれど

 小学生から英語を必修科目として教えることは世界の流れだという人がいます。確かに国によっては母語の教育を後回しにしても英語を教えるところもあるようです。ただ、それは英語圏に隣接していたり、そもそも母語の独自文化の積み重ねが少ない国や地域での話であることを考えなくてはなりません。

 言語を学習する際、大切なのは発音や文法だけではありません。それを通して何を考え、何を言うかです。私たちはものを考える段階のすべてにおいて言葉を用います。その思考の核となるものは母語です。母語の力なしには私たちは世界をつかむこともできず、まして理解したり、その上で何かを総合したり、創作したりすることはできなくなります。私たちにとってその母語とは日本語です。日本語の力が不足している状態では英語の学習もままなりません。思考するという行為そのものが未成熟では学習そのものがおぼつかなくなるのです。

 では、英語が堪能で日本語が片言な日本人にできることは何があるのでしょうか。日本の歴史や文化を日本語で理解できない彼らは英語でそれを行おうとするでしょう。しかし、外国語というフィルターを通して日本の文化を思考することは極めて能率が悪いはずです。結果的に日本文化を理解できない日本人が生まれます。そしてそれは外国人と条件は変わりありません。日本人であるという「特権」を利用できない英語話者は個性のない存在になります。英語で物を考えるだけならば、見た目がどのようであろうと英語文化圏の人間であり、日本独自の文化、種々の観点を知らない異邦人です。

 私たちが国際社会で存在価値をもつとしたら、それは欧米文化圏以外の思考法や行動様式を持っていることにあるのではないでしょうか。それを支えているのが日本語であるということをもっと理解すべきです。小学校で英語を教えることは大いに結構なことですが、国語教育において思考力を高めていくことを同時並行で行わなくては何の意味もなさなくなることをもっと多くの人が認識してほしいと思います。