はてなの毎日

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いろいろな師に就くこと

 伝統的な教育観の中に師承の学とか、秘伝という考え方があります。教育が大衆的な行動ではなかった時にはむしろ弟子は師を選び、師は自分の技能を伝えるに足る人物にのみ伝達をするというのが教育の理想だったのでしょう。今は機会の平等とか、教育の大衆化ビジネス化が進んでいるのでこういう考えはむしろ害悪のように扱われることがあります。

 師を選ばないで学を始める才能こそが日本人の長所であるとは内田樹さんの文章によく書かれることです。確かに一人の先生に全人格的に心酔し、すべてを模倣し取もうとする行動は非常に効果的な学習実践であり、それが成功した時にはおのずと師を超えることも可能です。この方法は現代にも通用すると私は思います。

 ただ、この関係には一種恋愛関係のような一対一の人間関係が背景にあります。他の師に就くことが裏切りであるかのような暗黙の了解が学習者に一定の枠なり枷なりをはめてしまいがちになります。

 ただやはり、一人の指導者の意見に偏らず、複数の師に事えることは大切だと思うのです。宮本武蔵は我以外皆師というようなことを言ったそうですが、そこまでではなくても心酔する相手は何人かいた方がいいように思うのです。その際に冒頭で述べたニ君にまみえず的な遠慮がないようにしなくてはならないでしょう。

 私は中等教育の現場にいるのでこのことを何らかの形で伝えなくてはならないと思っています。教育をカタログから選ぶような感覚で受けてはいけない、師のものをすべて吸収するような態度が大切だ。ただ、一人の師に縛られるのもよくない。自分がいいと思う師には積極的にアプローチして教えを仰ぐことができるようする、それが伝統的な教育観を現代に生かすことでないでしょうか。