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人に投資できるのか

 外国人労働者を受け入れる法律ができたのは産業界の要請だと言います。より具体的には安い労働力で収益を上げたい経営者の希望ということになります。低賃金で人件費を抑えれば、低コストで収益を上げることができます。国際的な競争力において新興国の後塵を拝している大きな原因は人件費面でのハンディと言われていますので、外国人を国内で低賃金で働かせることによってそれを解消しようというのでしょう。

 資本主義は格差がなくては成り立たない仕組みだと言います。かつてはそれを都市と農村に置き、それが先進国と開発途上国に置き換えられて、それが無効になると今度は国内に格差の仕組みを作り出して何とか今の体制を維持しようとしているというのが実情なのです。少し前までは非正規労働者という存在を作り出すことによって格差を作り出してきました。しかし、これはさすがに問題が大きい。日本人同士で同じ仕事をしているのに給与が違うことはおかしいというのは誰にも自明な差別です。

 そこで外国人にその役をやらせることになります。日本にやってくる労働者はこの意味でいえば低賃金で働いてもらわなくてはならない存在であり、決して対等では意味がないのです。見方を変えれば奴隷のようなものです。もちろん誰も強制はしないし、拘束もしない。しかし、できる仕事を限定し、給与は抑えられ、一定期間で国外退去させられる。使い捨て的な人材確保です。経済学的にはこれでよくても、現代社会にこれは通用するのでしょうか。

 国際社会においてこうした動きはすでにいくつもの先例があります。もちろんそれぞれの地域で事情が異なるので一様に比較することはできませんが、多くの場合は経済的な現状維持を目的に移民政策が行われ、さらには難民の受け入れを機にそれが加速するといった状況があるようです。そしてほとんど例外なく社会不安を生み出しています。

 受け入れた移民を国民として対等に扱うのであれば、それなりの社会的な仕組みが必要になります。社会福祉上の準備もしなければなりません。国民として受け入れるならばそれだけの覚悟が必要であり、日本語以外の公用語も認めるくらいの決断が要ります。しかし、今回の法案はそれは想定していません。あくまでもバイト定員を雇うような感覚です。

 日本が多民族国家になっていくのは長期的には止めようもない流れであり、個人的にはそうなるべきだとも考えています。ただ、それが急激に起こると様々な問題が生じます。社会的な不安がすべてをだめにしてしまうことでしょう。治安面はもちろんですが、それよりも無秩序と無力感が大きい。安価な労働力が求められるという現実は人間の価値を貶めることそのものですから。

 それでは、縮小する日本経済を支えるのは何か。それはやはり人への投資ではないかと思います。限られた人材で現状以上のパフォーマンスを発揮できる人材を育成することにこそ生き残りの道はある。そのためには物の価値は価格だけにあるという考え方をやめなくてはならないのでしょう。安価なものを大量に消費する社会は行き詰まりを見せており、良質だが少し値が張るものを巧みに使い続けることが必要になっていきます。そのための技能やサービスの提供者を育成することこそ、これからの時代に必要なのではないでしょうか。

 つぎはぎをしながらも形見の着物を着続けた祖先の知恵を見直し、最新のテクノロジーの助けも借りながら、ダウンサイジングする日本の社会をそれなりに乗り切っていくことこそ今の社会に必要なことなのです。